airsilky

二つの夜を見つめる早朝

 夜食用のサンドウィッチと缶コーヒーを近所のコンビニで購入した後、僕は家族が待つ自宅に向かった。なだらかな坂を歩いて上っていく。平均年齢60歳をはるかに超えている我が町内の深夜4時過ぎは、これから来る朝を待つのでなく、そのまま終息してしまいそうな深遠な静けさも支配されている。僕意外の僕の家族・・・妻と二人の子供たちも例外でなく、毎晩、この時間だけはあちら側の世界の住人となる。あちら側にいる人々と、僕らこちら側にいる人々は交信することは出来ない。携帯電話を没収された恋人のようなものだ。叫んでも叫んでも、すとんと声は吸い込まれてしまう。
 静かに鍵を回し、ドアをあける。深夜4時の我が家は、この時間、あちら側の世界に属している。息を止めて、妻と2人の小さな子供たちが目を覚まさないように静かにゆっくり階段を上がる。2階の廊下を突きあたりが僕の部屋だ。そこは、モンゴルの岩塩とペルーの赤土を混ぜたもので結界を張っているため、この時間のこの家の中で唯一こちら側の世界の時間が流れている。部屋に入り、一気に息を吐き、そして吸う。今夜も無事に帰還出来たことを感謝する。
 窓際に椅子を寄せ、サンドウィッチ、缶コーヒー、携帯電話を5センチほどの窓枠スペースに置く。
 昼間の空と同様、夜空にも色々な表情がある。今夜は、タイプPⅢと呼ばれる南半球の洋上でよく観測されるタイプのものだ。北半球のちょうど真ん中あたりに位置するこの窓からは、年に2,3度程度のみ見ることが出来る。なんとなく得をしたような気分がして、僕はククット下を向いて笑った。
 5時39分・・・今日の日の出時間まで、あと2分だ。もう、なんとなく空は地球色を帯びてきている。
 大勢のカラスたちが、寝床にしている下水管から次々と空に現れ、周回し始めた。

 【シュシュッ】

 5時39分。携帯電話にFM音源を使って自作した着信音が短く鳴った。時を同じくして、あちら側の世界とこちら側の世界を分けていた境界線が瞬時に落ちる。ふたつの世界は、ほんの少しだけ躊躇い、そしてカフェオレボールに注がれるミルクとコーヒーのように柔らかく交じり合っていく。僕は、携帯電話を手に取り、届いたメッセージを開いた。

『おはようございます。点検・保守の完了をお知らせします。今回の陥落地区はありませんでした。来週もよろしくお願いいたします。(二夜公団統括)』

 6年前に受け取ったメールをきっかけに、毎週金曜日の早朝は窓際で空を眺めながら迎えるようになった。あちら側とこちら側の違いは、よく分からない。それを上手く混ぜ合わせることに失敗する・・・つまり、陥落するとどうなるのかのも不明だ。なんでも時計が刻む横軸の時間でなく、縦軸の時間が暴走し飛び散ってしまうらしいんだけど、それが実際どういうことなのか理解出来ていない。ただ、世の中というか世界中に困難な出来事が増えているのは、どうもこのふたつの世界が共存出来ていない地区が増えていることが原因らしい。
 まあ、僕には分からないことだらけだけど、なんとなく世の中に役立っているのかもという予感と期待だけで、6年間続けてきた。ただ、窓の外をじっと見上げるだけでいいのだから、不器用な僕でも何とかなるしさ。
 金曜の朝から始まる新しい1週間が始まった。
 窓を開け、缶コーヒーのプルタブを引っ張り、朝の引き締まった空気と共に飲み込む。
 世界のみんな、おはようございます。


木板のピアノ 初稿

漆喰の壁にはめ込まれた1枚の木板。小さな頃からいつも傍にいてくれた木板。わたしと木板は、やっと安住の場所を見つけたのかもしれない。

結婚から5年たち、私たち夫婦は家を建てた。購入したのではなく、建てたのだ。全体像から間取り、ドア1枚1枚のデザインや建具のスケッチなどは、最終的に4百枚を超えた。主人の友人である設計士を中心にセルフビルドに理解ある人々に協力してもらい、週末の休日を中心に2年間をかけて作り上げた。痒みにのたうちまわりながら、床材は漆を幾重にも塗り重ねた。筋肉の走行ラインをはっきり意識出来るほどの筋肉痛になりながら、壁に漆喰を塗り続けた。屋根に登り防水タイルを張りながら見た沈み行く夕陽を見て、トイレの天井を無難な白から燃えるようなオレンジに塗り替えた。
そして、わたしが最もこだわったのが、この木板をはめこむ場所だった。

木板には、所々波打ったラインでピアノ鍵盤がスケール通りに掘られている。今から25年前、9歳になったわたしへの父親からの誕生日プレゼント。兄のプラモデル作りを手伝うつもりが壊してしまったくらい不器用だった父親が作ってくれた音の出ないピアノだ。。
わたしの家は、今思うと仲が良いことだけが自慢の貧乏家族だった。3食の食事に困ることはないけど、時々機嫌を損ねる小さなテレビが我が家の最高級家電で、ビデオデッキやエアコンはなかったし、電話機は黒電話。家族4人分の洋服は、小さなタンスひとつですべてのシーズン分収まっていたし、自分用の部屋というものを誰一人として持っていなかった。
その頃のわたしは、いつも歌っていた。時間割の中で一番楽しみだったのも音楽の時間。音楽の教科書の裏表紙には、ピアノの鍵盤がプリントされていて、その鍵盤を使って日記代わりのオリジナルソングを弾き、家族の前で毎日歌っていた。また、クラスのイベントごとの度にピアノ伴奏をするエイコちゃんという同級生がいた。彼女の誕生日パーティーに呼ばれて行った時、自宅に本物のピアノがあることを知ってびっくりした。「すごいね、いいね。」とエイコちゃんに言ったら、「わたしピアノ大嫌い。おもしろくない。」と悲しそうな顔をしたのにもびっくりした。
家に帰ってから、誕生日パーティーの報告を兼ねた歌を歌った。エイコちゃんのピアノについて歌った。「黒くて立派で音まで出るのにエイコちゃんから嫌われてかわいそう。ピアノさんが歩けるなら、わたしのお家に遊びに来たらいいのにね」という内容の歌だった。小さなわたしはピアノが欲しくてそう歌ったわけじゃない。エイコちゃんに嫌われているピアノがかわいそうで、そのことを無邪気に歌っただけなのだ。わたしは、わたしのピアノ・・・教科書の裏表紙にプリントされたピアノが大好きだった。聞いてくれる家族がいつもいたし、どんなに複雑で難しい曲でも思い通りに弾けたから。
でも、父親の感じ方は、ちょっと違ったらしい。2日後の日曜日の朝、洗いざらしのコットンを身にまとったような柔らかな光に満たされた早朝6時。気配というか、予感というか、なんとも言えない淡いオレンジ色気分で目が覚めた。わたしたち家族4人は、いつも3枚の布団に並んで眠っていた。母親、弟、わたし、父親の順に。目を覚ましたわたしの右側は、いつもどおりの景色・・・弟と母親の寝姿が見える。ところが、左側にいるはずの父親がいない。たしか、仕事は休みのはず。休みの日は、たいてい最後まで寝ているのが父親で、その父親を起こすのがわたしだった。そういえば、すぐ隣の小さな台所から音がする。かさこそ、かさこそ。そおっと起き上がり忍び足。引き戸の隙間から覗いて見ると、父親が食卓の上で何かを磨いている。
「おはよう。」
わたしは、その隙間に顔を押し付けて、なんだか楽しそうな父親の背中に向けて言った。予期してなかったわたしの声に、いすから飛び上がらんばかりに驚いたのが面白くて、わたしはするするとドアを開け、父親の背中に抱きついた。父親の大きな手がわたし全体を持ち上げ、膝の上にすべらせる。膝の上から見た真新しい景色のことをそのとき以来忘れたことなど一日たりともない。そこから見えたのは、木板で作られた新しいピアノだった。不器用な父親が徹夜をして彫り、磨き上げてくれた弦のないピアノ。
「いつかは、ちゃんとしたピアノを買ってあげるからね。」
痛ましげに、誇らしげにカットバンを張った指を照れくさそうに隠して、わたしをきゅっと抱きしめてくれた。

わたしのピアノは、その日から今日までずっとその木板だった。音楽を志す者誰もが憧れる音大を目指し、入学し、卒業もしたが、わたしは父親の膝の上から見たピアノ以外を所有したことがない。音楽室のピアノと、自宅の木板のピアノを毎日弾いた。音楽室のピアノは先生みたいな存在で、木板のピアノは大親友のようなものだ。木板のピアノはいつも応えてくれたし、元気や勇気をくれた。
 また、木板のピアノにも調律が必要になることがある。それは、わたし自身の調律が必要なときでもある。同級生や先輩、後輩、友達・・・身の回りにいる音楽仲間たちは、悲しいかな、結局、戦うべき相手なのだ。時に戦友のような間柄になることもあるけど、それはお互い、ある程度、それも同程度の成功を手に入れたときのみで、それさえも脆く危ういバランスの上に成り立っている関係だ。好きな音楽の世界に身を置けば置くほど消耗していったわたしは、卒後間もなく再生不可能なピアノになってしまった。きりきりに巻き上げれた弦が、はじけ飛んでしまったのだ。わたしは、ピアノ弾きに必要な聴覚や触覚をはじめとするあらゆる感覚を失い、発見されるまでの数日間、木板を膝に抱えてうずくまっていたそうだ。

それからの2年間は、山間にある精神科に入所していた。語弊を恐れずに言うと、そこは、「狂った」人でなく「失った」人が集められた施設だった。塵ひとつない15平米の白い箱が、医局を中心に12部屋配置されている。各部屋は、放射状に・・・医局を中心とした時計の文字盤のように円形に並んでいる。新しく入所した人は、12時の部屋にまず入る。同時にそれまで12時の部屋にいた人は1時の部屋に、1時の部屋にいた人は2時の部屋にというように時計回りに移動する。スタッフ以外との関わりを遮断されていたわたしたちが、唯一、自分以外の「失った」人を感じられるイベントだった。逆に誰かが退所すると、その人よりも大きな数字の部屋に入っている人は、反時計回りに部屋を移動することになる。反時計回りに移動した日は、いつもより少しだけ前向きな気持ちになれたものだ。「いつか、わたしも」と思えたから。
そこは、心の自己免疫作用のみで、わたしたち「失った」人を回復させることを第一義とされた。規則正しい生活と、他者からの刺激を極力避けることが何よりも優先された。華奢な鉄格子に囲われた小さな窓から見える空の景色だけが、自分以外のもののすべて・・・そんな場所。施設のスタッフたちも、言葉を発することは一切ない。伝えるべきことがあれば、各部屋に備え付けられたノートを介して伝達される。治療スケジュールに関するものから、他愛のない冗談や天気の話まで、とにかくたくさんのことがスタッフとわたしたちによって書かれる。そのノートは、わたしたちの部屋の移動と関係なく、各部屋にとどまる。つまり、以前の住人によって書かれたものを読めるし、わたしが書いたものも誰かに読まれ続けるわけだ。退所してから気付いたけど、これはとても良く出来たシステムだった。自分のペースで他人のペースを垣間見ることが出来るし、「失った」人々が、「失った」人々に向けたエールのようなものもたくさん書かれていた。「失った」人は、ここで傷ついた羽を休め、一本一本の羽毛を丹念に紡がれていく。  
ここに入所して1年以上、ピアノを弾くことはなかった。というより弾けなかった。弾きたいけど、弾けないのだ。わたしのピアノに指を置くだけで、嘔吐を繰り返してしまう。入所して1年後の月に一度だけの面会日に、父親にそのことを話すと、にっこり笑って
「ピアノのどこかが調子悪いのかな。ちょっと、見せてもらってもいいかな?」
と言って、施設スタッフに木板のピアノを面会室ロビーに持ってきてもらった。
両手で大切そうに受け取り、手のひらで撫でたり、軽く叩いてみたりしてその感触を確かめながら「よしよし」と呟く。。それは、木板のピアノへの調律だった。わたしのピアノの調律は、父親の役目で、調律後の音はどこまでも伸びていく飛行機雲のようだった。
「これは重症だなぁ。ミのシャープの音が出ないみたいだから。」
そう言うと、おもむろに椅子を蹴飛ばし、手にしていた木板のピアノを床に打ちつけた。何度も何度も何度も。
「ごめんな。ごめんな。こんなもの作ったから、パパがこんなものを作ったから毎日がつらいよね。ごめんな。ごめんな。」
わたしは父親の腰にしがみつき、わたしのピアノを壊さないでと大声で哀願した。騒ぎを聞きつけたスタッフたちが、まず、わたしを父親から引き離した。父親は壊れたおもちゃのように、木板のピアノを打ち続ける。ごめんな、ごめんな、ごめんな・・・グゴッ・・・。両手すべての指が折れているのではないかと思うくらい強く握り締められた木板のピアノは、くの字に折れてしまった。涙なのか、汗なのか、顔じゅうをぐしゃぐしゃにした父親は、照れたように首をかしげてわたしを見た。その表情は、わたしに木板のピアノをプレゼントしてくれたあの朝と同じだった。いや、20年分刻まれた皺の分だけ、より柔らかくやさしく、わたしを見ていた。ゆっくりと口唇がうごく。ご・め・ん・な。
口唇の動き以上にゆっくりと振りかぶり、満身の力で振り下ろされた。木板のピアノは真っ二つに割れ、父親から離れた木片はゆるやかな放物線を描き、わたしに向かってくる。そべてがスローモーションだった。放物線を描き飛んでくる木片がもともと何だったのか理解出来てなかったわたしは、子供を抱きしめる準備をする母親のように両腕を広げる。1回転、2回転、3回転と回りながら、わたしの元へ迫ってくる木片。その大きさは、回転とともに増していく。わたしの視界すべてが木片で占められた時、父親が丹念に掘り込んでくれた鍵盤たちがはっきり見えた。ぶつかると思って目を閉じた瞬間、わたしの顔を巻き込むように回転した木片は、柑橘系の音をさせて耳を横を擦り抜けていった。大きく前方に広げた手に何かが触れる。懐かしい感触だった。両腕を広げたままのわたしの顔は、走り寄ってきたであろう父親の胸の匂いに抱かれていた。
二人で泣いた。世界中の底が抜けたくらいわたしたちは泣き続けた。泣き続けながら気がついた。ミにシャープはない。出るはずのない音のせいで、真っ二つに折れたピアノはまるでわたしだ。出ない音は、出ないままでいいのだ。不器用なパパは不器用なままだし、わたしもわたしのままでよかったのだ。ミのシャープを追い求めていたわたしは、いつの間にかあるはずのないミのシャープに占拠されてしまっていたのかもしれない。正体のないものに占拠されることイコール失うことでもあることに気づいた。それは『出口のない迷路』でしかない。
わたしは、父親の腕の中でゆるやかに眠りについた。薬が介在する眠りはまるで泥水の中を泳ぐような息苦しさを伴う。しかし、その日の晩の眠りは違った。それはまるで深海に咲いた白百合のようにゆらりゆらりと香る眠り。母親のお腹の中はきっとこんな所なのだろう。コツ、コツ、コツ・・・コトリ。夢うつつなベッドの中、遠くに聞こえる雨音のような心地よい音、そして頬に感じた微かな風で目を覚ました後、また深い深い眠りについた。

次の日、小鳥たちのさえずる音色が、わたしをかたちづくる細胞ひとつひとつをやさしくノックして新しい日の到来を教えてくれた。拭っても拭っても染み出てきていたヘドロのような表皮を拭わずにすむ朝はなんて素晴らしいのだろう。裸以上に裸になったような気分だ。ただ、わたしを侵食していたすべての問題がクリアーになったわけではなかった。わたしの抱えていた問題は、もっと大きく複雑だった。だけど、出口に通じる入り口に立てたことで、止まっていた時間がやっと前に進み始めたのだ。
わたしはベッドから起き上がり、時間を確認するためにドアの方向へ視線を向けた。7時11分。起床の合図である鐘の音がするまで、あと19分。そういえば、父親はあの後、どうしたのだろう?わたしが気を失った後、どうしたのだろう?ここには宿泊設備はないし、辺鄙な山奥にある施設なので近隣にホテルなんてものもない。今日だったら、笑いながらミにはシャープのないことを教えてあげられるのに。あとで、施設のスタッフに尋ねてみよう。
「あれ?」
昨日、折れてしまったはずの木板のピアノが、ベッド脇の小さなテーブルに立てかけられていた。凛々しく瑞々しい立ち姿は、羽を休める渡り鳥のようだった。そっと手をやり、膝の上に乗せた。ちょうど真ん中に位置するミのシャープを中心に一直線に継がれた跡がある。外科手術を受けた背中みたいで痛々しかったが、逆に新しい命を吹き込まれたようにも見えた。目を閉じ、一番低い音から高い音まで人差し指で撫でてみた。
「聴こえる・・・ちゃんと響く。」
わたし自身が変調をきたし始めたときから、ピアノの弦は巻き上げられ続けた。きりきりに引っ張られた弦がさらに巻かれるときの音は今でも忘れることが出来ない。暴走しっぱなしのジェットエンジン。限界まで巻き上げられて弾け跳んだ弦は、永遠にほどくことができそうもないくらいにからまってしまっていた。そんなピアノに昨晩、どんな魔法がかけられたのだろう。誰が、魔法をかけたのだろう。弦が切れ、真っ二つに折れた木板のピアノ・・・どこまでも高く深く響く音色は、小さな頃から聴いているあの音と何一つ変わってなかった。
窓の下に備え付けられた棚の上に木板のピアノを置いてみた。小さな窓から朝の柔らかい光が注がれる。木板のピアノとわたしは、久しぶりに穏やかな呼吸を交わした。大きく伸びをしたまま、両指の準備運動を2度3度繰り返しながら、何から弾き始めようかと思いを巡らせた。そうだ、あの曲を弾いてみよう。とても難解で技巧的だから敬遠されがちだけど、わたしにとっては永遠の課題曲。水彩絵具で心の深層を描くと、きっとこんな感じなのだろうと思われる神秘的な曲。
久しぶりに弾くにはちょっとばかりミスチョイスだったみたいで、なかなか指がついてきてくれなかった。だけど、ミスタッチさえも嬉しかった。木板のピアノの音との再会が何より嬉しかったから。 止まっていた時間が動き出し、その時間を忘れてピアノを弾き続けた。
食事も水も摂らずにひとしきり弾いた後、ボンドとパテで修繕された痕を確かめた。色々な角度から見たり、軽く叩いてみたり、擦ってみたり、匂ってみたり。なんとなく、父親の仕業でないような気がした、なんとなく、なんとなく。その時、椅子から立つ気配を背中に感じた。主治医のM先生の背中。いつからか、M先生が部屋に入ってきていたようだ。わたしが木板のピアノを弾くのをずっと聴いていたのだろうか?
M先生は、ドア脇にかけられているノートに手をやり、胸ポケットから取り出したペンで何かを書いた。わたしの方をちらりと照れたように見てから控えめに右手を上げて合図、そのままM先生の癖である髪の毛をクシャクシャとかき回して、部屋から出て行った。カチャ。M先生のメッセージが書かれたノートは小さくゆっくり揺れている。ユラユラユラリ。わたしは、ノートの振幅に歩調を合わせて、ゆっくり近づいた。ノートを開き、小さく丁寧に書かれているはずのM先生のメッセージを探す。

(気持ちの良い朝のスタートをありがとう。【スクリャービン・ピアノ・ソナタ第7番・白ミサ】かな?間違っていたら、ごめんなさい。)

驚いた・・・その通りだった。ロシア人のスクリャービンが作曲した難解な宗教曲であるこの楽曲を知っていることも驚いたが、木板のピアノで弾いたものを聴き取れる人がいたことに、もっと驚いた。わたしは、こう返事を書いた。

(びっくりしました。その通りです。わたしにとって、この曲をマスターすることがピアノをする上で目標の一つだったのです。今日は、全然駄目でしたけど。)

その日以来、ノートを介してのM先生との会話は、ピアノや音楽の話題ばかりになった。M先生は、オーディオマニアだった。オーディオ好きな人の音楽嗜好は、クラシックかジャズに向くことがほとんどらしく、M先生は前者とのこと。スクリャービンによる楽曲はピアニストによって解釈が多様で、各ピアニストのものを聴き比べるのが楽しいそうだ。

(スクリャービンは、わたしにとって永遠に与え続けられる課題曲のようなものです。)

(それは分かるような気がします。僕は、ピアノを弾けないのですが、聴くのは大好きです。その中でも、スクリャービンの楽曲が録音されたものを聴くのは特に好きです。同じ楽曲でも、ピアニストによって全く違うものになっているからです。)

(スクリャービンの曲は、何も考えずに楽譜どおりに弾くと、とても退屈な曲が多いような気がします。音数が多く、展開も複雑で技術的に難解な曲が多いのですが、それ以上に、楽曲の中に込められた意味や想いがとても深い場所に埋まっているのです。)

(なるほど、それでピアニストごとに違う楽曲のようになっているのですね。うんうん、おもしろい話をありがとう。)

(いえ、わたしが勝手に思っているだけのことですから、スクリャービンからすれば不正解なことかもしれませんよ。)

(解釈すべき大きな余白があるということは、僕にとってとても興味深いことです。そこに向き合うことはつまり、自分と向き合うことなのです。僕がスクリャービンの楽曲が好きな理由は、そこだったのかもしれません。スクリャービンの楽曲自体というより、それを弾いているピアニストの真の姿を感じられるから好きなのかもしれません。)

(それにしても、木板のピアノで弾いたものの曲名が分かりましたね。)

(余白が多い楽曲だからでしょうか?音が聴こえたというより、イメージが伝わってきたのです。)

(どんなイメージなのか、よかったら教えていただけますか?)

(   “YES”   )

わたしは、ここを出てもやっていけるような気がした。

“YES”が書き込まれた翌日、父親が面会にやって来た。木板のピアノを折ってしまって3ヶ月が経っていた。木板のピアノが修復を施されて、わたしの手許にあることは知っていたようで、何度も何度も謝った。わたしたちは、ここの談話室でのみ会話が許される。
「ごめんな。本当にごめん。お父さん、どうかしていたんだよ、あの時。木板のピアノのせいじゃなくて、お父さんのせいなのに・・・ピアノを憎んでしまったんだなぁ。本当にごめんな。」
「お父さんのせいじゃないよ。うまく言えないけど、誰のせいでもないの。多分、もうしばらくしたら、わたし、大丈夫になるような気がする。今ね、わたし毎日、弾いているの。久しぶりよ、ピアノを弾くことがこんなに楽しいのは。」
「そうか、それはよかった。退所したら、ゆっくり聴かせてほしいな。」
「もちろんよ。それと、先生、聴こえるのよ、木板のピアノの音が。」
父親の横に座っている先生は、いつもの癖・・・髪の毛をクシャクシャとかき回しながら言った。
「とても癒されています。とても、すばらしい。とても、とても、とても感動させてもらっています。」
父親は、席を立ち、直立不動のまま
「ありがとうございます。先生には、どれだけの言葉を重ねても足りません。本当にありがとうございます。なんでも、木板のピアノを修復してくれたのも、先生とのことで。粗末なものですが、わたくしと娘を結ぶ絆のようなものと申しますか、まあ、そういった類の大切なものでございまして。それをあんな風に壊してしまいまして・・・先生は、散らばった木片のどんなに小さなものまで集めてくださり、修復してくれたとのことで・・・本当にありがとうございます。娘が退所しましたら、あらためてお礼にお伺いしたいと思っていたところなんです。いえ、先生さえご迷惑でなければなのですが・・・。」
早口にまくしたてた。多分、自分で何を言っているのか分からなくなってしまったのだろう。やっと、退所した患者がまた押しかけてきたら、先生だって迷惑でしょうに。
先生も席を立ち、髪の毛をクシャクシャとかき回す。片手だけで飽き足らず、両手を使ってかき回す。
「いや、あの、その・・・とんでもないです。とんでもないです。木片をすべて集めたのは、まあ、職業柄と申しますか、すべてのパーツを揃えていって、パチパチ嵌め込んでいくと申しますか・・・こう・・・失われたものを拾い集めていけば、必ず元通りになるものですから。好きなんです、そういうのが。」
そして、何を思ったか、先生はテーブルを半周してわたしの横にやって来た。わたしの顔をじっと見てから、意を決したように父親の方に向き直り、こう言った。
「甚だ失礼で、非常識なのを承知で言わせていただきます。お嬢さんと、お付き合いさせてください。あ、あ、あのよければ、結婚を前提にお付き合いさせてください。」
ガバッと頭を下げる。
何が何だか分からないとは、このことだ。こういう施設で、患者が先生のことを好きになるのはよくあるらしいけど、逆のパターンはあまり聞かない。何よりも、わたしと先生は付き合っているわけでないし、先生からそんな話をされたことも一度もない。わたしは、つま先まで真っ赤になっていくのが分かった。
「よろしくお願いします。」
今度は、父親がガバッと頭を下げた。そして、先生は何も言わずにわたしに向かって、ガバット頭を下げた。
本当に何が何だか分かりません!わたしもガバット頭を下げてしまった。

4ヶ月後、わたしはその施設を退所した。
12時の部屋からスタートし、時計回りに反時計回りに各部屋を2年間移動し続け、8時の部屋で退所した。
施設から最寄のバス停までゆっくり歩いて30分。わたしは、M先生と歩いた。
「先生、ここではもう声に出してお話してもいいのですか?」
「もちろん。退所したのだから、何一つ制約はありません。なんなら24時間話し続けても大丈夫です。」
とは言うものの、それからわたしたちは無言で山を下りた。話したいことはある。聞きたいこともある。答えたいこともある。
4ヶ月前の告白というか、プロポーズは、あの日以来、宙に浮いたままだった。備え付けのノートで尋ねてみようかと何度も思ったけど、結局出来ずじまい・・・ノートは他の誰かが見ることになるはずだから。ドクターと患者のラインを超えることの善し悪しの問題もあるし、先生の立場の問題もある。そして、何よりも恥ずかしい。暗号めいたもので書かれているかもしれないと思い、M先生の書いたものを色々な方向から読み解いてみたりもした。しかし、すべてが徒労に終わった。
わたしたちは、ほとんど人が通ることのないだろう舗装された細い山道を無言で歩き続けた。両脇には、満開の山桜が延々と続く。時折強く吹く春の風は、柔らかな陽光を背景に花びらを遠くに運んでいった。そう言えば、入所したときもちょうど今の時期だったはずだ。
「先生、わたしがここに来たとき、この桜はどうだったんですか?」
「どうって、どういうことでしょうか?」
「わたし・・・ここに来たときの前後の記憶が全くないんです。」
「そうですか。2年前の同じ時期に僕と一緒に歩いているはずです。」
「歩いているはずって、変ですよ。なんか、先生まで記憶を無くしているみたい。」
「ははは・・・そうです。2年前のこの時期の記憶がないのです。」
「おっしゃっている意味が分かりません。」
「・・・僕は、今日まで9時の部屋にいました。そして、今日から8時の部屋に移動するはずです。」
「8時に部屋って・・・わたしがいた部屋のことですか?」
「そうです。今朝、荷物をまとめて出発してきた部屋です。」
「・・・もしかして、先生は・・・。」
「そうです。僕も失ってしまった人間です。ただ、医者の資格は持っています。専門も、人間の心に関連するものです。」
「つまり、先生は、患者であって医者でもあると?」
「そうです。最初は、患者として入所しました。だけど、入所してしばらくすると、施設長に呼ばれて、こう言われたのです。『人手が足りていないから、ケアの手伝いをして欲しい』と。」
「不思議な話ですね。」
「不思議というより、変てこな話です。ケアされるべき人間にケアをしろというのですから。」
「でも、わたしにとって先生は先生でした。失った人であることなんて、微塵も感じませんでした。」
「ありがとう。たった一人の患者から、そう言ってもらえるとうれしいです。」
「となると、先生は今日からどうするのですか?」
「どうするのでしょうね。施設に戻り、荷物を8時の部屋に移動する。それから後のことは、主治医が考えてくれるでしょう。」
「主治医がいるのですか?」
「はい、一応います。いるというか、僕自身が主治医です。」
「不思議な話ですね。」
「不思議というより、変てこな話です。」
 山を降りきると、T字路につきあたる。そこを右に折れて100歩ほどでバス停に到着した。時刻表を確認すると、ちょうど15分後にバスは到着するようだ。一日4便だけやって来るバスの3便目。
あと15分すると、わたしは今までいた場所から切り離される。先生は、その場所に残る。この2年間を締めくくるはずの15分間、わたしたちは無言で並んでいるだけだった。ドラマチックな転換も結末もなく、きっかり15分でバスはやってきた。
プシュー。エアーの吐き出される音と共に、バスの乗降ドアが開く。わたしは、右手にピアノ、左手にボストンバッグを抱えてタラップに足をかけ、ゆっくりと上り振りかえる。先生は、両手で頭をくしゃくしゃとかき回している。
「ありがとうございました、先生。」
「いえ、こちらこそ・・・って、なんか変だな、ハハハ。」
「また来ます。」
「いや、ここはもう来るところではありません。」
「でも、来ます。」
「いや、それは主治医として困ったりもするわけです。」
「だって・・・。」
「あと、半年待ってください。僕もけりをつけますから。」
「・・・待ってていいのですか?」
「はい。ぜひに・・・YES・・・です。」
そう言うと、両腕をまっすぐ空に向けて掲げピースサインをわたしに送った。かっこ良く・・・はなかった。かっこ良くはなかったけど、信じてもいいのだと確信出来た。わたしは、ピアノと荷物を抱えたまま胸の前でダブルピースを先生に送った。
「YES!」

半年を2ヶ月だけ過ぎたけど、M先生は約束どおり退所してきた。退所してくるまでの8ヶ月間、わたしはスクリャービンを弾き続けた。M先生の言うところの解釈すべき余白を一つ一つ紐解きながら8ヶ月を過ごした。そして、自分なりの解答を得た。
“余白の中には何もない。雲ひとつない青空みたいなものだ”
気がついてしまえば当たり前のことなんだけど、余白に込められた意味を探そうとすればするほど深みにはまる。そこは意味を探すところでなく、自己を投影出来る場所であり、自由に泳ぐべきところなのだ。スクリャービンは、壮絶に複雑なキータッチを強いれば強いるほど、演者は無心になれはずだと思って、ピアノ・ソナタ第7番・白ミサを作ったのではないだろうかとも思う。
余白は余白のままにしておくことが、失わないことなのだ。

M先生の退所から半年後、わたしたちは入籍した。若い紫陽花の花が梅雨空から降る雨音をはじく路地・・・一本の傘を高く掲げて歩いて行った。頭をくしゃくしゃするのを我慢するために、左手で右手をがしりと押さえながら言ってくれたプロポーズの言葉は、内緒。
もうすぐM先生が仕事から帰ってくる。今日は、はじめての結婚記念日だ。キッチンからは、ビーフシチューを煮込んでいる鍋のグツグツ音が、幸せなリズムを刻んでいる。わたしは、その音を聴きながら、木板のピアノを弾く。
夕暮れ時のしとやかな空気は、ゆったりとわたしとM先生だけの時間を繋ごうとしてくれている。


203号室のインコース

僕はひとつのことを思い出そうとここに入所して1週間が過ぎた。

インコース低めの打ち方だ。

『禅ビル』…僕らはそう呼んでいる。
街の中心からやや外れた5階建ての古いビルで、一部のプロ・アスリートたちが利用する。
僕は、あるプロ野球球団の3番バッターだ。昨シーズンの終了間際、極度の不振に陥りそのままシーズンを終えた。原因は、分かっている。
インコース低めの球をすくい上げて打ち返すフォームを忘れたのだ。

もっとも得意なコースだったはずのものが狂うと、すべてがバラバラになる。

そして、すべてがバラバラなままオフシーズンに入った。
それを思い出すために、ここにいる。

『禅ビル』の外見はいたって平凡だ。しかし、その中に入るといささか様相は変わる。徹底的に無音状態に近づけているのだ。防音はもちろん、特殊な吸音材が壁一面に吹き付けられていて、あらゆる音が瞬時に吸い込まれる。足音ひとつとっても、ここで聴くそれは異質なものだ。音の芯の部分だけが聴こえ、それを取り巻く反響音がないからだとのこと。そんな空間で、僕らは忘れたフォームなどをひとつひとつ組みなおしていく。
今朝、退所したボクサーは、左ジャブから右フックのコンビネーションで使う、背筋にかかる緊張状態が左から右へ流れ移るポイントのようなものを思い出すためにここにやってきた。そして、すっきりした表情で1ヵ月後に控えたタイトル戦へ向かった。

ここはそんな場所だ。

さて、僕のインコース低めを打ち返すイメージを書き抜いてみる。

ピッチャーの指先からボールが離れるほんの少し前に、バットを持った左手のグリップを内側に軽くしぼる。
ボールの軌道を腰の左前方から巻き込むイメージで眼で追う。
左足をいつもどおりのオープンスタンス気味にステップを踏みだす。ただし、つま先の方向だけは開かず、膝から上の筋肉と腰の筋肉を結ぶラインに緊張を持たせる。その際、まだ腰の回転を始めてはいけない。つまり、上半身は残したまま、下半身だけを巻き上げるのだ。
ここまでの動作を終えた時点で、ボールは約3分の2進んでいるはずだ。
手首を固定したまま、バットの移動を始める。
左腕を前方に少しだけ移動させた後、肘を支点に最短距離でボールに到達するようにバットを回転していく。
この動きはごくわずかであるべきだ。本格的なバットの軌道は、上半身の回転がスタートした後に描かれることになる。
つまり、あくまで回転させるのであって、振ってはいけない。
回転を始めてすぐ、ねじった状態にある下半身に上半身が追いつくように委ねていくわけだが、その際、腹部を意識するとほんの少し前のめりになることがあるので、背中に集中して脊柱と左足の大腿骨が真っ直ぐ結ばれるように上半身を回転させる。
上半身の回転が、5分の2程度終えたら、本格的にバットをボールに向かって振り始める。
インコース低めの球は、身体を開いた状態でややおっつけ気味にバットを持っていくのがポイントだ。
振り始めてしばらくは手首から先だけ残す。そして、上半身の運動が半分を超えたあたりから、遅れた手首を上腕部の動きに追いつかせる。
そうすると硬いバットがしなるような感覚を覚える。
そして、手首、腕、腰がかっちりはまるべきポイントにはまったら、その3点を結んだラインにエネルギーを流し込む。
打ち返すボールの軌道が高い放物線を描きたい場合は、バットにボールを乗せ、バットのしなりを利用して前方に運び出すイメージ。
ゴロやライナー性の当たりを狙う場合は、ボールを日本刀で真っ二つに斬るイメージ。
大きく分けると、このふたつを使いわけるのだが、どちらもボールがバットに当たるインパクトの瞬間、ほんのごくわずかだけ肘から先を前方に移動させる。
そうすることにより、もともとイメージしていたインパクトのタイミングよりも、2センチ程度前でボールを捉えることが出来る。
このようにする理由もちゃんとある。
ボールがバットに当たり、バットがその力を吸収し、蓄えたエネルギーをボールに与えて、そのボールが打ち返されるまでの時間は、瞬時でなく意外と長い。
ボールがバットに当たる瞬間に向けてバットを振りはじめたはずだ。つまり、そのまま動作を続けると、バットにボールが当たった瞬間に最大のエネルギーをバットの芯に伝えることになる。
当たった瞬間が最大のエネルギー供与ポイントだとすると、、その後バットからボールが離れるときにはそのエネルギーはかなり減っているはずだ。
バットにボールが当たる瞬間に大切なのは、そのエネルギーの大きさではなく、ボールの芯とバットの芯の位置関係だ。バットの芯をボールの中央から5ミリ程度下に持ってくることが大切なのだ。
エネルギーの大きさが問題になるのは、その後なのだ。
だから、バットがボールを捉えたそのときでなく、ボールのエネルギーを吸収しきった後に最大のエネルギーが供給出来るように、インパクトのポイントを予定していた位置より少し前にずらす。
そうすると、最大のエネルギーをボールに伝えるタイミングは、その分だけ遅れてやってくる。
あとは、バットを背中に巻きつけるように身体全体で振りぬく。
そうすれば、必ずボールは燕のように空間を移動してくれる。

この一連のイメージを音のない203号室で、一日何百、何千と頭の中で繰り返す。
今日で4日目。
全体の60パーセントくらいは、それぞれのイメージがスムーズに繋がってきた。
しかし、「ボールがバットに当たるインパクトの瞬間、ほんのごくわずかだけ肘から先を前方に移動させる。」
ここがどうもうまくいかない。
肘から先だけでなく、上半身全体で動いてしまうのだ、頭の中で。
打つ瞬間に上半身がぶれると、ポップフライに終わってしまう。

窓の向こうは今日も雨。

ゆっくりゆっくりやればいい。

ピッチャーはいつものあいつだ。

ゆっくり振りかぶって、インコース低めをついてくる。

ハイビジョン映像をごくごくゆっくりのスローモーションで回したときのように、ボールが僕に向かってくる。

眼を閉じたままの僕の頭の中では、左手のグリップを握り締めた自分がスタートした。


スウィート・ストーム


海暮れて鴨の声ほのかに白し
(うみくれて かものこえ ほのかにしろし)
松尾芭蕉


久々の連休だ。それも3連休。このぽかりと空いた3日間を何をして過ごそう。
まずは、恋人のサコに連絡してみた。「急なんだけど、仕事を休めたりしない?」「え?どういうこと?」「実は明日から3日間の休暇をもらったんだ。」「へぇ珍しいこと。ちょっと待って。スケジュールを確認してみる。」彼女は受話器を置く。受話器から遠ざかり、ドアを開け、そして小走りで近づいてくる彼女の足音が聴こえてくる。多分、素足だ。僕は、缶ビールのプルタブを開けた。僕らは、出会いってから5年になる。僕はイベントのプランナー兼ディレクターを、彼女はMC業を生業としている。お互い、フリーランスなので土日に休めることは少ない。そのかわり平日に休んでいるかというとそうでもない。1ヶ月間無休のこともあれば、1週間仕事をせずに過ごすこともある。そして、二人の仕事が同時に休みになることは滅多にない。5年間で16回だ。彼女のスケジュール帳にグリーンで記された回数。
「ごめん。仕事はなんとかなるんだけど、ちょっと無理そう。」
「そうか。急だもんね。」
「明後日、釜入れなの。2日間眠らずに火の番よ。」
「そうなんだ。1年に2回だけのイベントだったね。」
「そう。今回は、はじめて花器に挑戦したのよ。それも巨大なやつ。あなたでも持ち上げられないと思うわ。」
「花を活けるのか。」
「うまく焼けたらね。実家にある桃の木と山々の木々を組みあわせてみたいの。」
「うん、それはいい。」
「そのときは手伝ってね。大きなリュックサックを二人で背負って山に入り、探検よ。」
「了解。」
「ところで、わたしが休みだったら何をする予定だったの?」
「大阪に行ってみようと思ってた。」
「どうして?」
「出会って間もない頃に二人で行った店で明石焼きを食べようかなと。」
「また三日三晩?」
「そう三日三晩。」
「裸電球ひとつの屋台。」
「そう、あの屋台で。あの明石焼きはあそこでしか食べられない。」
「寒さに耐えながら。」
「そう、5年前と同じように寒い寒いと言いながら。つゆを飲み干したら、おかわりしてね。」
「いいわね。心が揺れている。行きたい。」
「だめだよ。サコは窯に行きなさい。」
「ひどい。」
「ひどくない。サコには窯がある。今の僕には何もない。」
「一人で行く?」
「うーん。どうしようか迷っている。」
「じゃあ、わたしから素敵な提案。」
「ん?」
「フェリーで行くといいわよ。」
「フェリー。」
「そうフェリーで行くの。わたしは、高校を卒業するまで大阪に住んでいたでしょ。父親の実家がある小倉に来るときは、いつもフェリーだったわ。」
「ふむふむ。」
「運がよければ、不思議な音を聴くことができるのよ。」
「どんな?」
「うまく説明できないけど、細く透きとおった音。真っ暗闇の海のどこからか聴こえてくるの。かなり集中して聞かないと聞こえないくらい小さな音。振動と言ったほうがいいかも。」
「振動か。それは、おもしろそうだね。」
「おもしろいかどうかは微妙だけど、あなたはきっとおもしろいと思ってくれると思う。ただ、いつも聴こえるわけではないから、聴けなかったからといって恨みっこなしにしてね。」
「もちろん、恨んだりしないよ。それで、聴ける確立はどれくらいなのか。」
「そうね。わたしの場合で30パーセントくらいかな。それ以下かも。」
「この寒い時期、フェリーの甲板で夜中の間じゅう一人で耳をすませて待つ...聴こえないかもしれない不思議な音のために。なんだか、過酷だね。」
「そう過酷よ。でも、それだけの価値があるのよ。少なくともわたしにとってはそういう音。」
「音そのものが好きな僕にとって、魅惑的な話だな。行ってみようかな、フェリーで。だけど、その細く透きとおった音の正体は何なんだろう?」
「それが正体不明なの。家族と一緒に聞こうとしたことがあるんだけど、わたしに聴こえても他の誰も聴こえないって言うし。だから、フェリーの船長さんのような人に聞いたことあるの。」
「ほうほう。」
「船長さんが言うには、そのことを尋ねてきたのは私で4人目らしいの。フェリーの仕事に就いて25年と言ってたから、膨大な乗客の中での4人ということはかなりの貴重な体験よ。そういう風に言ってもらった時は、なんだか誇らしい気分になったわね。そして、その船長さんもその音を聴いたことがないんですって。でも、その音は、その近辺を運行する船乗りの間では有名だとも言ってたわ。滅多に聴けることのない音なんだけど、船乗りさんたちの中にも聴いたことがある人がいるんだって。」
「じゃあ、確実に存在する音なんだね。」
「多分ね。それで、船乗りさんたちの間では、“スウィート・ストーム”って呼ばれているらしいの。」
「“スウィート・ストーム”…なんだか、かっこいい呼び名だね。」
「そうね。スウィート・ストーム…直訳すると“甘美な嵐”。船乗りさんたちとしては、船の航行中に起きるイレギュラーの出来事は、なるべく避けたいと思うらしいの。当然よね、海の怖さを一番知っている人たちだから。“スウィート・ストーム”のようななくても全然困らない正体不明の音なんて気味が悪いだけだもの。だけど、不思議なその音は、一度聴くと何度も聴きたくなる。心地よいイレギュラーなの。それで“スウィート・ストーム(甘美な嵐)”と呼ばれるようになったらしいのよ。」
「ふむふむ。なんかワクワクしてくる話だね。決めた。行ってくる。」
「いってらっしゃい。“スウィート・ストーム”に出会えるといいわね。正体が分かったら教えてね。」
僕らは、それからとりとめのない話を5分くらいしてからお互いの時間に戻った。
“スウィート・ストーム”を聴くことができるだろうか。聴いてみたい。
インターネットを使って調べてみると、フェリーは今晩出発の便があった。あと、2時間だ。まずはシャワーにかかろう。バスタブに腰を下ろし、シャワーの温度を調節してから頭を垂れた自分の後頭部に向かってお湯が当たるように固定した。そして、そのまま12月の洋上、息を殺してじっと待つ自分を想像してみた。
 シャワーから出るお湯は、僕の頬を伝い排水溝に吸い込まれていく。その行き先は、もしかすると僕と同じかもしれない。


あの森の向こうへ駆け抜けろ

この雨の向こうには、もう一人の僕がいる。

僕は土砂降りの雨の中を一人走っている。かれこれ1時間は走っているはずだ。不思議と息は切れない。銀色のナイキのスニーカーは、水と泥を吸ってそれはまるで汚れたギブスのように僕を試すように重くなっていく。

目的地は、この森をぬけたところにある音楽堂だ。森は僕が住むシャッター通りが駅前に鎮座する街のはずれにある。江戸時代にときの権力者を接待するためにつくられ、その後、幕末に開国をよしとしない浪人たちが潜伏、最後に集団割腹をしたという悲哀に彩られた場所だ。小さなな森であるけど、きれいに整備され、真夏になってもそこだけひんやりとしている。タバコを吸うのをためらってしまうような凛とした空気が今も昔もそこにある。
その森では、5年前より毎夏、ロックフェスが開催される。とは言っても、海外から大挙してミュージシャンが来たり、旬のロックバンドがジュークボックスように競演するような大きなものではない。この街出身のオールドプレイヤーたちが帰ってきてライブをするのだ。
昔々、この街の不良たちはこぞってロックンロールで自己主張したそうだ。かわいい女の子を振り向かせるために、彼らはエアコンなんかない山の中腹にあったガレージに入れ替わり立ちかわりギターをかき鳴らし、海の向こうへ吼え続けていたとのこと。
そんな彼らはほどなくして、20年前の日本のロックシーンを切り拓くことになる。そして現在もなお生き様としてロックしている。まさに真のアーティストたちだ。
僕の中学生時代の大半の時間を占有していたのは、まさに彼らの音楽たちだった。
それらは、キラキラしていたしギラギラもしていた。

ここ数年間、僕の頭の大半は、いつもイライラしていた。仕事で良い成績を残しても、きれいな女の子と一緒にベッドに入っても、バイクに乗って時速200キロを超えても。まるで、ヘドロの海につかっているような毎日。
そして3ヶ月前、コンビニで支払いを済ませるように勤め先の会社へ辞表を出した。特に揉めることも慰留されることなく受理され、それからちょうど10日後に10年間勤めた会社に行かなくてよくなった。コンビニはレシートをくれるが、会社がくれたのは10年間分の虚無感だけだった。
『失われた10年』というフレーズをどこかで聞いたか、読んだかした覚えがあるが、僕にとってまさにそういうことだ。
ただ、リセット出来たような気がそのときはした。
帰りに車の中で、中学時代につくった今じゃテープも伸びてノイズだらけのマイ・ベスト・トラックスを繰り返し繰り返し聴いた。うんと遠回りして。

だけど会社を辞めても、イライラ感はつのるばかり。部屋から出ても出なくても、僕は僕自身で変わりなく、僕の問題は何も解決しないことに気づいた。僕の問題は、根が深いのか、それとも根無しなのか。

いつのものように昼前に起きて、まずは1本のタバコに火をつける。11階の僕の部屋にあるただ1箇所の窓を2センチだけ開け、ほんの少し冷たい風を頬に感じ、さて今日はこれから何をしようと漫然と考えていた。
すると、遠くの方から音が聴こえた。聴こえたというより、かすかに鼓膜がふるえた。鋭利なカッターを振り下ろしたときのような芯のある風がこの部屋を通り抜けようとする。風は、ベッド脇の壁を跳ね音をたてた。ヒュッ。
風は、枕元に丸まったまま置かれていたフライヤーをほんの少しだけ震わせ、その頭を起こした。そして、ゆっくりゆっくり元の位置に横たわる。それは、今日から明日にかけて行われるロックフェスのフライヤーだった。
タバコに先で行く先を決めかねていた灰は、ベッドの上を舞い上がりスパンコールのように僕のまわりを舞い降りていく。
そして、もう一発、今度ははっきりと遠くの方からの地鳴りのようなバスドラを音が窓の隙間から僕を打ち抜いた。
耳の奥で捕らえたロックンロールの咆哮は、僕の心にあったさびかけた鍵穴の汚れをブワッと吹き飛ばしてくれたような気がした。
あの山の麓に行かなくてはいけない。行くんだ、今すぐ。

エレベーターを使わず、一気に非常階段を駆け下り外に出た。
暴力的な夏の太陽の日差しで僕は一瞬気を失いそうになる。しかし、真っ白な光の中降る土砂降りの雨が僕を正気に戻してくれた。
バイクのキーを土砂降りの雨に中、ギラギラと輝く太陽に向かって放り投げる。どこまでもどこまでも高く。
僕は3度の屈伸と、大きな背伸びの後、全速で道路のど真ん中を走り始めた。走り始めてすぐに背後にキーが地面に叩きつけられる音がした。
それは、遅れて鳴った号砲だ。僕は、走った。20年ぶりに走った。

森に入ると、バスドラの振動が木々をその根元から揺らし、さらに走ると歪んだギターの音が樹皮を剥ぐ。
それらは僕が何度も何度も聴いたあのカセットテープに入っている曲たちだった。
僕は走る。あの頃に走り方を思い出しながら走る。
走りきった場所にあるステージでは、あのロックスターが唄っているはずだ。


はじまりも終わりもない、僕らにあるのはいつも道半ば

だから満ち足りたことなんか一度もない

あるのは、いつもコップ1杯の水

この雨の向こうには、もう一人の僕がいる。
走れ、走るんだ。


テンニョヒダ(加筆・修正版)

いつも何かに包まれていたいんだとあの人は言った。

わたしは、水産加工物を扱う小さな会社のOLをして12年になる。

就職してすぐにはじめた定期預金は、何度か満期を繰り返した。それは、自分の結婚準備金のはずだった

けど、あの人の言ったあの言葉が私を別の方向に導いた。

半ば強制的にとらされる休日の朝、定期預金を解約し、その足で適当な10坪ほどの中古のワンルームマ

ンションを購入した。

わたしは、そこを二人だけの『カプセル』にしようと思った。

壁という壁すべてを取り払い、配管工事もやりなおして、部屋の真ん中にバスタブを配置した。

ただのワンルームマンションをまるっとバスルームにしたのだ。他に無駄なものは一切置かない。

こことは別に会社の寮に契約しているので、日頃はそこで生活する。

取引先の営業マンFと深い関係になったのは、2年前の桜が咲き始める時期だった。

どちらかというと、わたしの方から誘った。

Fは、39歳の妻子持ちでいつも森林系のにおいがするオーデコロンをつけている。

わたしが、Fを意識するようになったのは、F本人よりもそのオーデコロンのにおいが先だ。

そのオーデコロンの正体を知りたくて、Fに尋ねたのがきっかけでほどなくわたしたちは深い関係を持っ

た。

わたしにとって、はじめての恋愛。

Fにとって、はじめての不倫。

月に一度ペースで、食事をしてセックスをする程度の付き合いだったが、包み包まれ、溶けそうだった。

そして寮に帰ってきてもFのつけているオーデコロンはわたしをゆるやかに緊縛してくれていたし

その緊縛は、翌朝の目覚めまで感じることが出来た。

その朝だけは微かな罪悪感を伴うオーガニズムの後、出社の準備をはじめる。

いつもよりも長い時間をかけて髪の毛をブローする。


Fがまとっていたオーデコロンが生産中止になったのを知ったのは、たまたま見たインターネットのホー

ムページだった。そのオーデコロンに含まれる成分の調達が困難になったのが原因らしい。

俗名『テンニョヒダ』という苔の一種で、その苔が絶滅危惧種に認定されたとのこと。

採取不能になった『テンニュヒダ』なしでは作れないとのことで生産が中止されたのだ。

わたしは、すぐにオーデコロンの輸入代理店を探し出し、連絡をして在庫をすべて買い取った。

またそこと取引のある問屋やショップを紹介してもらい、買い占めた。

国内にあるだろう在庫は、1ヵ月半かけてほぼすべて入手した。

Fの驚き、喜ぶ顔を思い描いては、電話をし、メールを送り、購入するための送金をせっせと続けた。

集まったのは、115本。Fにとって、一生分あると思う。われながら、よく集めたものだ。

また、同じ時期に購入したマンションは、バスルームのみのワンルームとなる工事も終えた。

ふたつのことを終えた週末、わたしはFを新しい部屋に招いた。

オーデコロンを集めたことも、部屋をバスタブのみが鎮座するカプセルに改装したことも内緒にして。

Fは来なかった。

かわりに奥さんから、わたしの携帯に電話があった。

「そちらには行きませんので、よろしく。」

グチャッと音をさせて電話は切れた。

わたしは、バスタブにはじめてのお湯を張り、全部のオーデコロンをバスタブの脇に並べた。

Fの好きな麻のセーターを脱ぎ、淡いグリーンの下着もとる。

不思議なもので、部屋の真ん中で脱げばいいものを、脱衣は部屋の端っこでしてしまう。

壁際で脱ぐ習慣は、スペースが広がっても変えられないちっぽけな自分が、少しだけかわいい。

かなり奮発したつもりの、ゆるやかなティアドロップタイプのバスタブに右足からつかり、一度だけ深く

身体を沈めて身体をひるがえす。

バスタブの脇には、整然と並んだ115本のオーデコロンがある。

1本だけ、キャップをはずしてみた。

湯気のくぐもりともに、Fを感じるにおいがわたしを包んだ。

もう1本あけた。

ここにいないFに少しだけ近づけたような気がした。

さらに、新しい瓶…そして、もう1本。

次々にあけていった。バスタブの中にも入れた。垂らすのでなく、ドボドボと。

そして、115本目は頭からかぶってやった。

部屋の中は、湯気が充満し、オーデコロンの粒子がその隙間を埋めていているのが見えた。

その様は、Fと一緒に行ったプラネタリュウムで見たオーロラだ。

そして、そのにおいは何のにおいなのか分からなくなっていた。鼻をつんざく棘を化していた。

そういえば、『テンニョヒダ』ってどんな植物なのだろう。ふわふわしたイメージがする名前だけど…

棘があるのかのしれない。

ポロポロと涙が胸を伝う。

悲しみからなのか。

それとも、この部屋いっぱいのオーデコロンの刺激によるものなのか。

もうすぐ夜が明ける。

カプセルの中のオーロラは、その姿を変貌させながら移動させながら今にも消えてしまいそうだ。

わたしは、一生分のFのにおいを一晩で使い切った。

Fのにおいは、この先わたしから消えることはないだろう。


テンニョヒダ

わたしは、そこを二人だけの『カプセル』にしたかった。

多分無くなってしまっても世の中的には困らない零細企業のOLをして、せっせと貯めたお金で購入した10坪ほどのワンルームマンション。

壁という壁すべてを取り払い、配管工事もやりなおして、部屋の真ん中にバスタブを配置した。

ただのワンルームマンションをまるっとバスルームにしたのだ。他に無駄なものは一切置かない。

こことは別に会社の寮に契約しているので、日頃はそこで生活している。

取引先の営業マンFと深い関係になったのは、2年前の桜が咲き始める時期だった。どちらかというと、わたしの方から誘った。

Fは、39歳の妻子持ちでいつも森林系のにおいがするオーデコロンをつけている。わたしが、Fを意識するようになったのは、F本人よりもそのオーデコロンのにおいが先だ。そのオーデコロンの正体を知りたくて、Fに尋ねたのがきっかけでほどなくわたしたちは深い関係を持った。

わたしにとって、はじめての恋愛。

Fにとって、はじめての不倫。

月に一度ペースで、食事をしてセックスをする程度の付き合いだったが、わたしにとって、その時間だけは、ほかのどんな時間よりも甘く濃厚だった。

Fがまとっていたオーデコロンが生産中止になったのを知ったのは、たまたま見たインターネットのホームページだった。そのオーデコロンに含まれる成分が原因らしい。俗名『テンニョヒダ』という苔の一種らしい。その苔が絶滅危惧種に認定されたとのことで、採取不能になった『テンニュヒダ』なしでは作れないとのことで生産が中止されたのだ。

わたしは、オーデコロンの輸入代理店に連絡をし在庫をすべて買い取り、またそこと取引のある問屋やショップを紹介してもらい、可能な限り買い占めた。国内にあるだろう在庫は、1ヵ月半かけてほぼすべて入手した。

もちろん、Fのためにスタートした買占めだ。Fの驚き、喜ぶ顔を思い描いては、電話をし、メールを送り、購入するための送金を続けた。

集まったのは、115本。Fにとって、一生分あると思う。われながら、よく集めたものだ。

また、同じ時期にワンルームマンションを購入し、改装を終えた。

ふたつのことを終えた週末、わたしはFを新しい部屋に招いた。

オーデコロンを集めたことも、部屋をバスタブのみに改装したことも内緒にして。

Fは来なかった。来ないかわりに奥さんから、わたしの携帯に電話があった。

「そちらには行きませんので、よろしく。」

グチャッと音をさせて電話は切れた。

わたしは、バスタブにはじめてのお湯を張り、全部のオーデコロンをバスタブの脇に並べた。Fの好きな麻のセーターを脱ぎ、淡いグリーンの下着もとる。不思議なもので、部屋の真ん中で脱げばいいものを、脱衣は部屋の端っこでしてしまう。壁際で脱ぐ習慣は、スペースが広がっても変えられないちっぽけな自分が、少しだけかわいい。

かなり奮発したつもりの、ゆるやかなティアドロップタイプのバスタブに右足からつかり、一度だけ深く身体を沈めて身体をひるがえす。

バスタブの脇には、整然と並んだ115本のオーデコロンがある。

1本だけ、キャップをはずしてみた。

湯気のくぐもりともに、Fを感じるにおいがわたしを包んでくれた。

もう1本あけた。

Fに近づけたような気がした。

さらに、新しい瓶…そして、もう1本。次々にあけていって、バスタブの中にも入れた。垂らすのでなく、ドボドボと。

そして、115本目は頭からかぶってやった。

部屋の中は、湯気が充満し、オーデコロンの粒子がその隙間を埋めていた。もはや、そのにおいは何のにおいなのか分からなくなっていた。鼻をつんざく棘のようなものだ。そういえば、『テンニョヒダ』ってどんな植物なのだろう。ふわふわしたイメージがする名前だけど…。

ポロポロと流れ出る涙は、悲しみからなのか。それとも、この部屋いっぱいのオーデコロンの刺激によるものなのか。

もうすぐ夜が明ける。

わたしは、一生分のFのにおいを一晩で使い切った。

Fのにおいは、この先わたしから消えることはないだろう。


ビッグスマイル (加筆)

「開戦以来の米兵の死者は、米中枢同時テロの犠牲者二千九百七十三人を上回り三千人を超えた。イラク民間人の死者は、それよりはるかに多い約五万二千人に上る。治安の回復が遅れるほど失われる命も増えてしまう。」

深夜に近い長尺のニュース番組。東北地方の小さな町で一匹の犬が工事中の下水管に入り込み、それを救助しようと右往左往する人間たちのドキュメントがトップから延々と続いた後、週末の天気予報とのわずかな時間にわずかに差し込まれたトピックに解説者はたんたんとコメントする。

「冒頭でお伝えした迷い犬もそうですが、今、この瞬間も生死を分ける命に対して、わたくしたちはもっともっと考える必要がありそうです。」

白々しく添えたアンカーマン。この人はいつもそうだ。スタジオのカメラだけに話しかけている。そこから先につながっている僕らは眼を見ていない。彼にとって僕らは数字でしかない。視聴率という化け物のとりつかれた彼にとって、僕らの存在価値は数字というアイコンとしてしか認識されていない。

「続いて、週末のお天気です。今日は、日本最南端の島にある最南端の炉辺焼き屋から中継です。
僕の以前、一度だけお邪魔したことあるんですよ、そこ。自家製の干物が美味いんですよね~。いいなぁ。こんちきしょうという気持ちを抑えながら、呼んでみましょうか…。」

この国に住んでいると、もはや戦争自体が最初からなかったかのように思えてしまう。
僕はテレビを消した。
テレビの上に飾ってある1枚の写真は、いつもと同じように大口開けて僕に笑いかけている。
「カリカリするな。俺は大丈夫。」
彼は、僕らの間でビッグスマイルと呼ばれていた。
いつもいつもフルスイングで笑っているから。

地平線にいる人が読む新聞の文字が判読できると豪語する彼は、どんなに遠くにいようと知り合いを見つ
けると、大きく手を振って笑い、ずんずんこっちに歩いてきて、ガシっと手を握り、
「元気?」「じゃあね、またね。」
と言って手を振りながら猛烈な笑顔とともに来た道を戻って行っていた。
この2つの言葉が好きなのだそうだ。
そして、この2つの言葉だけで人はやっていけるというのも彼の持論だった。

「がんばってるかい?」
「今度会うときはもっとハッピーなお互いになっていようぜ。」
彼からのメッセージ。
なるほど、なるほど。

ビッグスマイルは、今、イラクにいる。
アメリカにいる息子の養育費のためとのこと。ちょいとアルバイトさと。
イラクに行く前、彼は知り合いの写真家に頼んで1000枚の自分写真をつくった。
そして、ズンズンとやってきては手を握り
「元気?」
「じゃあね。またね。」
と1000人にその写真を渡し歩き、戦地に赴いた。
3日間で1000人1000枚。
最後の一日は、僕の自転車で配ってまわった。

今朝、サドルの裏側にぎゅうぎゅうに丸められたコバルトブルーの折り紙を見つけた。
ビッグスマイルからの手紙だった。

Thank You
Good Bye
Peace
I Hope

ちくしょう!
ビッグスマイルこそ元気か?
毎日、何してるんだ?
帰って来いよ。
絶対たぞ。

今度会うときは、僕からビッグスマイルに声をかけるよ。

「元気?」「じゃあね、またね。」

早く帰って来い。


僕は僕で僕じゃなく、あなたはあなたであなたでない

いつもどおり仕事を終え、やっとローンを払い終えた車に乗って妻の待つ自宅へ帰った。

同棲時代を含めて、8年目を迎えた僕らにとって、今日はささやかな記念日だ。8年前の今日、僕らはここで生活を始めた日。そのささやかな記念日のためのささやかな花束が助手席に鎮座している。自宅では、妻がパスタをつくる準備をしているはずだ。はじめて僕らの家で作ったミニトマトだけでつくるパスタだ。

2LDKの賃貸マンションの玄関を開けようと鍵を差し込んだとき、わずかながらはっきりチリチリとした違和感を感じた。それは、靴を脱ぎ、リビングに向かう3歩歩けば次のドアが待つ短い廊下を進むうちに熱を帯びたように増していく。

「おかえりなさい。」

リビングには黒ぶちの眼鏡をかけた知らない女性がいた。

「あ、ただいま…え…あ、あの僕の妻は…。」

「わたしです。」

ちがう。僕の妻じゃない。目の前にいるのは、知らない女性だ。

「ち、ちょっと待って。うーん…やっぱり違う。あなたは僕の妻じゃない。」

僕はリビングの入り口で立ちつくしたまま言った。悪い冗談だ。夢だ。

「あれ?もしかして知らなかった?300年に一度のリセット法案。」

リセット法案?知る?知らない?何?僕の目の前にいる女性は、少しだけ困った顔をしたまま立ち上がった。そして、彼女は隣の部屋に行き、僕の妻がいつも使っていた携帯用の鏡を僕に手渡した。

「その鏡で自分を見て。」

言われるままに鏡を見た。僕の知らない男が僕をじっと見ていた。


ロックンロール

この雨の向こうには、もう一人の僕がいる。

僕はそう信じて、土砂降りの雨の中、一人走り続けている。かれこれ1時間は走っているはずだ。不思議と息は切れない。穴が開いているナイキのスニーカーは、水を吸って泥の塊のようになって僕の足にまとわりついてる。

目的地は、この森をぬけたところにある音楽堂だ。1年に1度、この街出身のオールドプレイヤーたちが帰ってきてライブをする。彼らは、20年前の日本のロックシーンを切り拓き、現在もなお生き様としてロックしている真のアーティストたちだ。僕の中学生時代の大半の時間を占有していたのは、まさに彼らの音楽たちだった。

それらは、キラキラもしていたしギラギラもしていた。

ここ数年間、いつもイライラしていた。仕事で良い成績を残しても、きれいな女の子と一緒にベッドに入っても、バイクに乗って時速200キロを超えても。まるで、ヘドロの海に漂っているような毎日。会社に辞表を出した。特に揉めることもなく受理され、ちょうど10日後に10年間勤めた会社に行かなくてよくなった。

ただ会社を辞めても、イライラ感はつのるばかり。部屋から出ても出なくても、僕は僕自身で僕の問題は何も解決しない。僕の問題は、根が深いのか、それとも根無しなのか。

いつのものように昼前に起きて、まずは1本のタバコに火をつけた。11階の僕の部屋にあるただ1箇所の窓を2センチだけ開け、ほんの少し冷たい風を頬に感じ、これから何をしようと漫然と考えていた。

遠くの方から音が聴こえた。聴こえたというより、かすかに鼓膜がふるえた。

枕元にフライヤーが丸まっている。今日から明日にかけて行われるロックフェスのフライヤーだった。

耳の奥で捕らえたロックンロールの咆哮は、僕の心に火をつけた。

あの山の麓に行かなくてはいけない。

外に出ると、猛烈な太陽の日差しの中、土砂降りの雨を浴びた。

バイクのキーをマンションの屋上に向かって放り投げる。そして、そのまま向こうに見える山に向かって走った。走り始めてすぐに背後にキーが地面に叩きつけられる音がした。それは、遅れて鳴った号砲だ。僕は、走った。20年ぶりに走った。

森に入ると、バスドラの振動が木々を揺らし、さらに走ると歪んだギターの音が樹皮を剥ぐ。走りきったステージには、あのロックスターが唄っているはずだ。

はじまりも終わりもない、僕らにあるのはいつも道半ば

だから満ち足りたことなんか一度もない

あるのは、いつもコップ1杯の水

この雨の向こうには、もう一人の僕がいる。

走れ、走るんだ。


赤鬼の出べそでりんごを喰らう

『赤鬼の出べそ』と呼ばれるこの場所に新しく道路が出来た。

外周2キロちょっとのそこが、僕の新しいステージだ。1ヶ月前から、ここを毎日、バスで20周走らせている。ぐるぐるぐるぐる。

平日の昼間、家もお店も工場も田んぼや畑もないそこを走っても、ほとんど乗客がいない。

だけど、この仕事はいやじゃない。まっさらな雪の上を滑るのは、こんな気分なんだろう。

今現在の乗客はひとり。あまり見ない制服を来た高校生であろう女の子のみ。ルームミラー越しに見える彼女は、窓からずっと空を見ている。とてもかわいい。

やっぱりこの仕事は悪くない。

「すみません。お尋ねしていいですか。」

「あ、はい。どうぞ。」

マイクを伝う声が少し裏返ってしまった。ちょっとかっこ悪いな。

「一番、景色のいいところで降りたいのですが、どこで降りたらいいでしょうか。」

景色のいいところといえば、岬の突端になる『赤鬼の出べそ展望台入り口』かな。

「展望台がこの先にあるので、そこが一番景色がいいと思うな。」

「ありがとうございます。そこで降ります。」

「了解。」

展望台まで、ここから10分程度だ。天気もいいし、かわいい女の子と二人きりのドライブ。悪くない、悪くない。

「すみません。お尋ねしていいですか。」

「はい。どうぞ。」

今度は、さっきよりかっこよく響いたかな、僕の声。

「運転手さんは、どうして運転手さんになったのですか。」

「うーん、なんでかな。親戚に運転手をしていたおじさんがいたというのもあるけど、運転手になったら仕事中は一人ですべてを出来ると思ったからかな。ずらっと机を並べて仕事をみんな一緒にというのは、多分、自分に向いてないだろうと思ったから。」

「楽しいですか?仕事。」

「うん、楽しい方だと思うよ。特にこんな天気のいい日は。」

「わたし、今日、学校をサボってきたんです。はじめてです。こんなことしたの。」

「そりゃいけないなぁ。と言いたいところだけど、僕はいつもサボってた。」

「楽しかったですか?サボって。」

「楽しかったね。」

「楽しいことばかりですね、運転手さんは。」

「君は楽しくないの?毎日。」

「多分、楽しんでないと思います。学校サボってみたけど、そのことが気になって気になって。小心者がこんなことしちゃだめですね。」

「何か、いやなことでもあったの?」

「いいえ。ただ繰り返しばかりの毎日が退屈だったんです。」

「だったら、僕なんかは最悪だ。毎日、同じ道をぐるぐる回っているだけ。」

「すみません。そんなつもりで言ったんじゃなかったんです。仕事をしている人ってかっこいいと思います。」

「あはは。ありがとう。」

女の子は、いつの間にか、僕のすぐ後ろの座席に座っていた。なんだか、甘い香りがするぞ。

「やっぱり、このまま学校に帰ります。今から帰れば、五限目に間に合いますし。英語の授業なんですよ、外国の映画を字幕なしでは見られない先生の。」

ぷぷっと吹き出してしまった。

「じゃあ、『赤鬼の出べそ入り口』で降りるんだね。学校まで送って行ってあげたいけど、それはさすがに無理だ。」

今度は、彼女が吹き出した。

「ありがとうございます。じゃあ、ひとつだけ行儀の悪いことをしていいですか。」

「どうぞ。」

「え?何をするか聞かないんですか?」

「聞かなくても、そんなに悪いことじゃないと思うから、OK。」

「このバスに爆弾をしかけていて、そのスイッチを押すとしても?」

「このバスの乗降口には特殊なセンサーがついていて、爆発物を持ち込もうとしたら運転席でメロディーが鳴るようになっているんだよ。曲は、『エリーゼのために』。」

「え?本当なんですか?」

「うそです。」

女の子は、満面の笑みを浮かべた。青い空とかわいい女の子。本当に今日はいい日だ。

「やっぱり、わたしは学校に行ってまじめに勉強していた方が向いているみたいですね。なんだか、すっきりしました。ありがとうございます。それで、行儀の悪いことっていうのは、お弁当を食べてもいいですかということなんですけど。さっきから、とてもお腹空いているんです。」

「あはは、どうぞ。」

彼女は、かばんを開けお弁当の包みを出した。運転席に幸せな匂いが伝わってくる。お弁当は幸せの詰め合わせだと思う。

「これ、よかったら。」

顔の前に差し出されたのは、うさぎの耳状に皮をカットしたりんご。バスは、誰もいない展望台入り口を通過したところだった。眼前には海がひろがり、りんごも甘酸っぱい香りが潮騒のように僕を刺激した。僕は、そのまりんごを一口に含み、女の子を一瞬だけ見て目で礼をした。

女の子の弁当箱の中身は、すべてりんごだった。全部、ウサギだった。

赤鬼でりんご。まったくもって、悪くない。悪くない。


ちょっとそこまで行くだけだよ

九州の南端に近い海沿いの町、1984年の春と夏に僕と彼女はそれぞれ生まれた。

この町の西側はすべて海で、その海沿いをそっと指で撫でたような南北に長い形をしている。

僕はその南端、彼女はその北端に生まれ、今朝までの3年間は、そのど真ん中で一緒に暮らした。

そして、町の真ん中を走る1本の道以外に、道と呼べるものはない。

南北に4キロメートル、東西はもっとも長いところで、33メートルしかないからだ。

町の南端と北端は岬になっていて、西側はすべて海。南北を結ぶ道の東側に沿って、僕らが住むアパートをはじめ、小さなコンビニやレンタルCDショップ、一応すべての科が揃う診療所や床屋さん、郵便局や洋服屋、ハンバーガーショップまである。

高望みしなければ、それなりに生活していくのには十分な環境が揃っている。ひとつのことをのぞいて。

僕らの住む町にないもの、それは、『移動の自由』だ。

僕らは、この町から出て行ってはいけない。隣町にさえ行けない。

理由は、僕らの特異体質だ。僕らは姿かたちは何も特異的なものはないけれど、どうも脳の機能に特徴があるらしい。

未来が見えるのだ。身体の周囲10メートルの未来。

5年後、10年後、100年後、1000年後。

昨晩、いつものようにささやかだけど心地よい夕食を一緒に食べてから、いつものように彼女が食器を洗い、僕がタオルで拭いていると彼女が言った。

「明日、ここを出ない?」

「ここを出てどうする?」

「どうするのかな。分からないわ。だけど、ここにいちゃだめなような気がする。」

「でも、ここを出るともっとだめになるかもしれないよ。」

「多分、そうだよね。」

「そう多分。」

出て行くとどうなるか。僕らを含めて町に住んでいる人々約250人は知っている。

気が狂って死ぬのだ。他の土地の未来を見ると、気が狂って死ぬのだ。どうやら、未来に希望はないらしい。希望どころか、絶望の遥か上、果てしない悲しみがそこにあるということだ。

そうやって、僕らの友人、知人数名が亡くなった。

お通夜の晩は、いつも二人で出掛けて、歩いて帰った。死んでしまった知人も、僕らも無言のまま帰るだけだった。

亡くなった人々は、決まって安らかな表情をしていた。身体中の涙をすべて出し切ったようにすっきりとした顔をして死んでいくのだ。

果てしない悲しみの先には、安らぎが待っているということなのか。

「どうして出ていくの?ここを。」

「ここにいると、ずっとこのままでいられて、ここを出ると気が狂って死んでしまう。それは分かっているの。」

「死んでしまっていいの?」

「よく分からない。死んだことないから、分からない…なんてね。本当は死ぬのは怖いよ。怖いけど、ここは何もない場所なんだと最近、つくづく思うようになったの。何もないから、何も起こらない。何も起こらないことは今のわたしには耐えられないの。あなたがいて、わたしがいて、友達がいて、朝が来て夜がくる。それはとてもわたしにとって大切なことで、かけがえのないものだけど、その中心にいるわたし自身が空っぽなの。どうしてなのかずっと考えていたけど、ここにいては何も分からないわ。ここは、何も起こらないから。」

この町には、本当に何もない。希望から絶望まで。漫然と毎日を送るだけだ。微笑まじりの退屈しかない。彼女の言うことは、とても理解できた。

「で、どうやって出るの?この町を。」

「バスに乗っていくわ。」

この町を走るバスには2種類ある。ひとつは、南北に海沿いを走る道を一日15往復する通称『黄バス』。もうひとつは、外部から働きにやってくる人々用の『赤バス』。彼女は、この『赤バス』に乗り込むつもりだ。僕らこの町の住民が、この『赤バス』に乗るにあたり、制約は何もない。この町を隣町の間にゲートがあるわけでもなく、監視員もいない。ただ、出て行くと生きて帰ることが出来ない恐怖感だけが、僕らをこの町に縛り付けているだけなのだ。『赤バス』に乗って来て帰って行く他の土地の人々は、いつも決まっている。ちょうど15人だ。彼らは、僕らの特異な体質のことを知っている。この町から出て行った人がどうなったかも知っている。そういった人々が乗る『赤バス』に乗って、彼女はこの町を出て行こうとしている。出て行きたい気持ちはなんとなく分かる。分かるような気がする。いや、分かっているのだろうか。分かっていないような気もする。

この町に生まれ、この町に住むということは、あらゆることを受け入れるしかない。許容できずは死あるのみなのだ。

「でもね…。」

「ん?」

「わたし、ここに帰ってくるのよ。」

「……。」

「そんな顔しないで。ここを出て行った人たちがどうなったかも知っているし、あなたが今、何を考えているかも分かっているつもり。でも、わたしは帰ってくるの。あさっての朝には。1泊2日の隣町へのひとり弾丸ツアー。」

「ごめん。正直なところ、そう思えないんだ。そう願うけど、そう思えない。」

「うまく言えないけど、帰ってきて明後日の晩は一緒に食事するの。そして、次の日も、また次の日も一緒に食事をする。ずっとずっとずっと。」

彼女はポロポロと泣き始めた。

「わたしね…わたしやあなたやこの町の本当のことを知りたいの。この町から出た人が気が狂って死んでしまったことは、小さい頃から何度も何度も聞いたし、物心ついてからは、何度かそうやって死んでしまった人のお葬式にも出たでしょ。だけど、目の前で誰か死んだ?いつも、いつの間にか誰かが死んでいて、未来を見て気が狂って死んだんだって言われて。なんか、最近、それって本当なのかな。」

そういえばそうだ。もしかすると、壮大な都市伝説のようなものかもしれない。だからと言って彼女がそれを確かめる必要はどこにもないと思うけど。でも、この町で生まれ、この町で生活しているとすべてを受け入れるようになってしまうのだ。たとえ、最愛の女性が死に行くとしても。

明日、彼女はバスに乗って行く。

僕は待つ。

待つのだ。


チクタク

わたしは、かれこれ30分の間、こうしてお尻を振り続けている。

背後には、むっとするような存在感のある男がわたしをわたしのお尻を凝視しているはずだ。いや、見てないのかもしれない。

派遣型風俗業のコンパニオン、俗に言うところのデリヘル嬢をやるようになって色々な男たちに遭遇した。やさしく接してくれる人もしれば、ひどいことをする人もいる。わたしの時間を買い、その短い時間で男たちは射精とともに何かをかなぐり捨てているような気がする。その何かはそれぞれで、大切なものを失う人もいれば、新しく蘇生するための過去を払拭する人もいるんだと思う。この仕事をはじめて間もないころは、男たちの捨てたものを持ち帰っていたように思う。仕事を終えた朝方にシャワーを浴びるとき、その持ち帰ったものを剥ぎ取るように、何度も何度も身体を洗った。ときにそれは身体の内部に浸透していたようで、嘔吐を伴うことも珍しくなかった。だけど、いつの間にか、それらを持ち帰ることなく呼ばれた部屋に置いて帰る術を会得したようで、今じゃ仕事を終えた朝のシャワーは、仕事前のそれとなんら変わることはない。呼ばれて、なして、帰って、待って、呼ばれて、なして、帰って、待っての繰り返しにすぎない。

どんな仕事も、いや生きていくこと自体が、結局、繰り返しなんだと思う。繰り返しが嫌で、あちらこちらを転々としてきたけど、いつも繰り返しの日々に戻ってきている。

いや、そんなことはどうでもいい。

問題は、今日だ。今日のこの客だ。わたしにとっても、お店にとってもはじめての客。幾分、慣れてきたといっても、はじめての客はやっぱり緊張する。繰り返しの毎日といっても、男たちは様々だからだ。

呼ばれたホテルの部屋に入ってすぐ、男はこう言った。

「上着は脱がなくていい。シャワーも浴びなくていい。俺を触らなくていい。ただ、スカートとストッキングだけを脱いで、そこのデスクに手をつき、ずっと尻を振って欲しい。時間いっぱい。」

この仕事にイレギュラーは危険な入り口だ。そう言われたわたしは脅えた表情をしていたのだろうか。

「怖がらなくていい。ただ、腰を振ってくれればいいんだ、そこで。」

わたしは、言われたままスカートを脱ぎ、ストッキングを脱ぎ、それらをソファーに置いてデスクに向かい、手をついた。

「どんな風にお尻を振ったらいいのですか。」

「思ったままに振ってくれればいい。やりたかろうと、やりたくなかろうと時間いっぱい振ってくれればいい。」

おばあちゃんの家にあった振り子時計のようにわたしは、わたしのお尻を振った。チクタク チクタク。

男の気配を背後に痛いほど感じる。

男はベッドに腰かけ、ただわたしを見ているようだ。時々、鼻をすする音がするくらいで、深夜2時のホテルの部屋はとても静かだ。

チクタク チクタク チクタク。

わたしの背中に一筋の汗が流れる。男は、その汗を赤ん坊のような柔らかな手でそっとぬぐってくれた。そして、延長することが可能かどうか尋ねたので、可能であることを伝え料金について説明した。もちろん、お尻を振りながら。実は、私自身とても気持ちよくなってきていた。身体全体が下半身になってきたような、そんな心地よさ。腰のまわりにまとわりついていた数々の男たちの情念のようなものがゆっくりゆっくり剥がれ落ちるような感覚。はらはらと。

「そのまま俺の話を聞いてくれ。俺は昨日40になった。20歳で社会に出て、めちゃくちゃ働いて、めちゃくちゃ稼いで、めちゃくちゃ金を使った。外車も買ったし、家や別荘、投資用にマンションもいくつか買って、女もクスリもバクチもやった。世界中の色々な土地にいったし、うまいものもたくさん食べた。ヨットや自家用ジェットも持っている。だけど、いくら持ってもゴールが見えない。広いグランドでひとりサッカーしてるような気分なんだ。大観衆の中、一人でグランドに立ち、無人のゴールにシュートして点数が入った。お前ならどうする?」

「……お客さんたちに手を振って…手を振って…。」

「うん、まあそんなとこだろう。で、その客たちは、次のシュートを期待してお前に歓声を送った。どうする?」

「え…分からないけど、シュートすると思います。」

「そうか、シュートするか。無人のゴールに転がっているボールを取りに行って、適当なところにボールを転がして、そしてシュートする。そして、大歓声と次のゴールへの声援。さて、どうする?」

この人は何を言いたいのだろう。わたしに何を言わせたいのだろう。密室での客商売で、相手の意にそぐわないことを言ってしまうと命取りになることがままある。相変わらず、お尻を振りながら答えた。

「シュートします。」

「よし、そして大歓声と次のシュートへの声援。どうする?」

「シュートします。」

「大歓声と声援。どうする?」

「シュートします。」

「大歓声と声援。どうする?」

「シュートします。」

「大歓声と声援。どうする?」

「シュートします。」

「大歓声と声援。どうする?」

「シュートします。わたしは大勢の人に逆らえるようなパワーを持ってないから、ずっとずっとずっとずっとシュートします。」

「飯も食わずに夜も寝ずにか?」

「……。すみません。いつかはやめます、シュートするのを。」

「観客たちは、お前のシュートを見に来てるんだぞ。それでもやめられるのか?」

わたしはわたしなりに考えた。この人は、いったい何を言わせたいのだろう、わたしに。

「だって一生、そんなことをするのは無理だと思います。無理です、わたしには。というか、みんなそうじゃないですか?ご飯を食べず、夜も寝ずにひとつのことをするなんて。すみません。こんなこと言って。わたし、あまり頭よくないんです。頭よくないから、あまり難しいこと考えられないし、分からないんです。お腹すいたら何か食べたいし、眠くなったら寝たいです。まわりの人が何を言おうとやっぱりそうすると思います。」

「すまん。ありえない話で困らせて。そう、ありえない話のはずなんだ。そんなのありえないはずだ。ありえないはずなんだけど、俺にとって毎日がそうなんだ。観客だけが大勢いて、敵も味方もいない広いグランドでひとり延々とサッカーをしないといけない。来る日も来る日も、朝も昼も夜もゴールし続けなくてはいけないんだ。ボールを蹴っても、誰も跳ね返してくれないし、グランドを走ってもタックルを受けるわけじゃない。ゴールを決めれば歓声が起きるけど、その瞬間に次のゴールを求められる。1000万点分、ゴールを決めても終わらないんだ。」

「でも、いつかは終わるのではないですか?制限時間のようなものがあるはずですし。」

「サッカーならね。前半45分、短い休憩を挟んで後半の45分。そこで勝負が決まらなければ延長戦。そして、PKというシステムもある。つまり、どちらかが勝つまで、もしくはどちらかが負けるまでのゴールが見えている。だけど、俺がやっているサッカーには、どうもそれがないみたいなんだ。」

「あなたがやってるサッカーって?」

「仕事だよ、仕事。俺はサッカー選手じゃないけど、サッカーが好きで、これまでずっとサッカーをしているつもりで仕事をしてきた。耐えて守ることもあれば、一気に攻めあがることもあった。セットプレイでより確実に点数をあげられるようにいくつものパターンを検証して、数え切れないほどリハーサルをして本番にのぞんだ。細かくパスをつなぐこともあれば、カウンターで勝負するしかない時もあった。そして、うまくいった。何不自由ない生活を手に入れた。今の俺たち日本人の平均寿命知ってるか?」

「80歳くらいですよね。」

「そう、80歳。80歳で死ぬとして、昨日40になった俺は、ちょうど折り返したというわけだ。折り返すということは、前半終了のホイッスルが聞こえていいはずだ。俺は、そのときを待ったよ、昨日、ここで。ずっと、ずっと、ずっと待った。だけど、ずっと、ずっと、ずっと待って聞こえてきたのは、ホイッスルの吹かれる音じゃなくて、ゴールへの声援だ。これまでと何一つ変わらず。」

「・・・・・・・。」

「誰もいないゴールにこれからもずっとシュートをし続けないといけないのか、俺は。どう思う?」

わたしは、そんな風になったことないから分からないし、そんな風になることもないから多分、これから一生分からないと思う。でも、この男にとって、その問題は切実でこのままだとこの男は狂ってしまうのかもしれないと思う。いや、もう狂っているのかもしれない。

わたしは、お尻を振りながら、ずっとずっと考えた。わたしは、一体、この今、何をどうしたらいいのだろう。このお尻は誰のものなんだろう。わたしのものだろうか。この男のものだろうか。少なくとも、今だけはこの男のものになっててもいいと思えるような気もする。

「わたしは頭があまり良くありません。良くない頭でわたしなりに色々と考えてみたけど、やっぱりシュートし続けることしか思い浮かびません。でも、それは多分、これまでシュートをしたことないというか、そういう状況になったことがないから、それくらいしか思い浮かばないんだと思います。ボールを強く蹴ることが出来ない、パスもまわってこない、それどころかサッカーのルールさえ知らない。どうやって学んでいいのか分からないんです。本を読んだり、練習したりしても上手になれないことばかりなんです。シュートが上手で、パスもたくさんまわってくるあなたのような人をうらやましいと思ってばっかり。そして、観客になるのにもお金がいる。それも興奮するゲームであればあるほど、その入場料は高いんです。ちょっと前のわたしには、そのお金さえなかった。昼の仕事とこの夜の仕事を掛け持つようになって、途中からこの仕事専門でやり始めて、入場料くらいは稼げるようにやっとなったところなんです。じゃあ、お金を払って見に行ったかというと、見に行ってません。見に行きたい試合がないんです。」

「サッカーだけじゃないだろう。野球もあるし、芝居もある。美術館もあれば、美味しい食事を出してくれるところもある。これらは全部例えだから分かりにくいかもしれないけど、仕事でもプライベートでも自分のやりたいことをやりたいようにやればいいじゃないか。」

「すみません。怒らないって約束してくれますか?」

「怒らない。何を言われても、聞いても怒らない。君の考えていることを教えて欲しい。ただ、お尻だけは振り続けてくれ。決してこっちを見ずに。」

わたしは、ほんの少しだけお尻の振り幅を大きくした。

「ありがとう。とてもきれいだ。」

「わたしの人生はとても平凡でちっぽけなものだと思います。この仕事だって、ただなんとなく続けているだけで目標とか目的とかないし、どこかにお金を借りていてその返済に追われているとか、つまらない男に貢いでいるとか、病弱の両親の治療費を稼ぐためとかじゃないんです。だけど、あなたが言ったサッカーの…サッカーの場合、スタジアムって言うんですよね。そのスタジアムにいる人たちに憧れていたから、わたしもそこで活躍したいしたいと思ってこの仕事を始めたんです。お金がなければ何も始められないと思ったから。そこにいる人たちは、みんなお金持ちでしょ。お金持ちになったら、そこにわたしもそこにいることが出来るし、毎日わくわくして過ごせると思ったんです。毎日、毎日通帳を見ては、少しずつ増えていく数字に満足してました。だけど、最近やっと分かったことがあるんです。サッカーに例えると、えっとえっとえっと…。そうだ、ベッカムという選手がいましたよね。テレビによく出ていて、写真集もある選手。」

「ああ、ベッカムという選手はいるよ。この間ドイツであったワールドカップでは、イングランドのキャプテンだった。とてもきれいなプレイをするし、顔だってハンサムだ。」

「そうベッカムです。かっこよくて、サッカーが上手でお金持ちのベッカム。そのベッカムを見て、わたしはとても憧れたんです。wたしの住んでいる世界とはまったく違う世界にいる人だから。もちろん、ベッカムのような超一流になれるほどの才能はないことくらい分かっています。だけど、そこに近いところまでいくチャンスは平等にあるはずだとも思ってた。何度も言って申し訳ないんですが、そのために必要なもののひとつはお金なんです。お金がなくては、何も始められないんです。このことは、今でもそう思います。ただ、お金がある程度貯まって、さあサッカー選手になろうと思ったときに自分にがっかりしたんです。」

「どういうことだ。サッカーをすればいいじゃないか。何も邪魔するものはないはずだ。」

「はい。サッカーをしようとすれば出来ます。だけど、だめなんです。わたしが憧れたのはベッカムというサッカー選手であって、差カーがとても上手なことではないんです。」

「すまん。よく分からない。」

「いいえ、あやっまたりしないでください。わたしが頭悪いから、うまく説明できないだけなんです。えっと、えっとですね…えっと、わたしが憧れていたのは、サッカーが上手になってみんなに注目されることじゃなくて、ただキラキラしているベッカムのような人の魅力だったんです。なぜ、キラキラしているのかどうかは見えてなかったんです。サッカーなんて上手にならなくもいいというか、ぜんぜん興味ないのに、まわりの人から一目置かれた人生に憧れていただけなんです。多分、あなたもわたしにとってはベッカムと同じ存在なんです。キラキラして、毎日が楽しそうというかだけど、あなたのような人になりたいと思ってこの仕事をはじめてお金を貯めてみたけど、決してあなたのようにはなれないんです。」

「ベッカムや俺のようにならなくても、君は君らしく毎日楽しくなるように…。」

「そのわたしらしくいうのが分からないんです。今日、こうやってはじめて会ったあなたに向かってずっとお尻を振っているのがわたしなんです。楽しいかと聞かれて楽しいことじゃないです。じゃあ、つらいかと言われてもつらくはないんです。ただ、ずっとずっとお尻を振っているのがわたしで、それが多分、一番楽なんです。楽だから楽しいわけじゃないんです。ただ楽なんです。でも、わたしが憧れていた世界に住むあなたは、毎日がつらいと言っています。だったら、多分、ベッカムもつらいんだと思います。サッカー場でサッカーをしているあなたと、そこに行くことさえないわたしが楽しくないとして、じゃあサッカーを見ているお客さんたちは楽しいのでしょうか。」

「いや、きっと本質的には楽しんでいるとは思わないよ。いやなことがたくさんあるから、スタジアムでその憂さ晴らしっていうか、その場のその時だけの大騒ぎを楽しんでいるだけだと思う。本当は、つらいことがたくさんあって、それをいっときでも忘れたいから来るんじゃないかな。」

「じゃあ、あなたのようなサッカーが上手な人もお客さんもわたしみたいな無関係系の人もみんな楽しくないのね。だれも楽しくない。だれも楽しくないのに、あっちこっち世界中でサッカーの試合はあってる。ものすごいお金がぐるぐる回っているだけで、誰も楽しくないのに。いいえ、もしかするとサッカーに絡んだ別の楽しいところがあるのかしら。」

「そういえばそうだね。誰も楽しくないのに、サッカーはなくならないよな、ずっと昔から。どうしてなんだろう。そんなこと考えたことなかったな。君は自分で自分のこと頭悪いと言うけど、そんなことない。俺の方がよっぽどバカだ。」

「いいえ。わたしは頭悪いんです。頭悪いからこんなことばかり考えてしまうんです。頭のいい人は、きっとこんなこと考えないから、どんどん前に進んでいけるんだと思います。」

わたしの下半身は、どうしようもないくらい熱を帯びてしまっていた。わたしはいつもそうだ。出口がなくなると濡れる。わたしにとって濡れることは、放棄することだ。自分と自分以外のすべてを。何かを受け入れたくて濡れるんじゃない。わたしのどうしようもない何かを放出したいのかもしれない。どうしようもない何か。

「だれも楽しくないんだね、サッカーって。あはは。本当に面白い。ありがとう。あはは。あははははははははh。」

男は、キリキリに蒔いたゼンマイを一気に離したように笑い続けた。

「あはははははははは。ごめん。久しぶりに笑ったよ。あはは。本当に愉快だ。だれも楽しくないものにみんな夢中になっている。楽しいのはサッカーそのものだけなんだよ。サッカーという得体の知れない怪物だけが楽しんでいるんだよ。その怪物の中で、みんなきっと何かあると思って、毎日毎日大騒ぎしているんだ。」

そう言うと、男はぴたりと笑うのをやめた。そして、わたしのすぐ後ろまでやってきた。

わたしは、下着を自分で剥ぎ取り、男の背後に向かって高く高く投げた。下着は、想像していていたより長い時間をかけてどこかに落ちた。その落ちる音はまるで部屋に迷い込んできた大きな蛾が、部屋の隅にやっと居場所を見つけたんじゃないかと思わせるようなやさしい音だった。

最も遠くに離れているだろうその男とわたしは、ほんの短い時間だけ重なった。そして昇るわけでもなく堕ちるわけでもないぼんやりしたオルガニズムに達した。わたしたちは、そのオルガニズムに身を任せるというより、ふたりでいつまでもいつまでも眺めるように漂っていた。

暗く出口の見えないオルガニズム。

チクタクチクタク。


無題

夢や希望や目標や目的がなくても

ドド~ンと行きゃいいんだよ、ドド~ンと

と最近の俺自身に言ってみた

(※妄想ですよ。フィクションですよ。)


傘泥棒

 色々な人がいるもんだと思う。

 傘泥棒を自負してやまない友人がいた。

 入学して7年目になる僕が通う地方にある国立大学の寮での話である。

「そんなに傘ばかり集めてどうするの。」

「自分でもよく分からないんだよ。はじめは傘って防水性があるからなのか、生地の色に惹かれて集めるようになったのかな。決して鮮やかな発色をしてないんだよね、傘は。すごく人工的というか…オーガニックな発色とは対極にあるでしょ。ひやっとした感じが好きだった。」

「だったいうことは、今はそうじゃないの。」

「多分。というのは、集め始めた当時は、傘の生地を見ると世の中の音がすべてなくなってしまうような陶酔感があったんだけど、だんだんノイズが混じってきた。冗談みたいな話だけどさ、カサカサというノイズが聴こえてきはじめた。傘がカサカサなんて音をたてると笑うよね。あはは。」

「じゃあ、今はその陶酔感はないんだ。」

「そうそう、ないない。むしろ、気持ち悪くなるくらい。身体の中にたくさんの虫が這い回っているような感じがする音だから。」

 彼は決して変人ではない。病んでもいないと思う。むしろ、僕の周囲にいる人々の中では、もっとも地方にいる大学生という存在をイメージした時にぴたりとはまる目立たないステレオタイプな部類の人間だ。傘泥棒であることを除いては。

 

 過去10年間で最大の台風がやってきた。風が寮自体が大きく揺れ、窓から見える木々は、満員電車でぎゅうぎゅうに詰められた人間が発車と同時に傾いたように、同じ角度を保っていた。午後1時30分。その台風の中心が通過中なのだろうか。ぴたりと風がやんだ。不気味なくらい静かな午後だ。僕の部屋をノックする人がいる。ドアを開けると、彼がいた。

「全部の傘をグラウンドに広げたいんだ。手伝ってくれないかな。」

 唐突な彼の願いを僕は快諾した。理由は、ただ面白そうだから。あと1時間もしないうちにまた暴風域に入ってしまうだろう。いや、30分かもしれない。台風で吹き飛ばされるであろう傘がどこへ撒き散らされようと知ったこっちゃない。寮独特の縦社会を使って、後輩たち5人も援軍として参加させることにした。

 総勢7人で僕らはひたすら傘をグランドに広げていく。ラグビー部専用のグランドとして使われているその場所は、殴りつけるように降り続いた雨によって、東から西に向かって、幅2メートル平均ほどの川が出来ていた。現在の傘の持ち主である彼の提案で、その川に沿って傘を並べることにした。総本数1211本。ぴたりと止んだ風の中、次々と傘が並べられていく。運河沿いに咲くチューリップのようだ。

おいらは傘泥棒

傘泥棒になんかなりたくなったのに

夢中にさせたお前が悪いのさ

おいらは傘泥棒

 へんてこりんな歌を後輩が作り、僕らは大合唱しながら傘を並べ続けた。すべての傘を並べるのに要した時間は10分ちょっと。案外、あっけないものだ。そのまま、寮へ戻り、壁際にある非常階段を上って、グランドを見下ろせる屋上に上がった。屋上に上がると、誰もが黙りこくってしまった。少しずつ風が出てきた。屋上から見える傘たちは、左右に少しずつ動く。静かな音楽に合わせて、頭を揺らすように。 

 突然、すぐ近くに落雷した。どうやら、グラウンドにラグビー部のポールに落ちたようだ。バッキーンと音がしたかと思うと、バリバリバリとグラウンドを流れる川沿いに電流が走るのが見えた。強く青白い流れが川を伝い、その流れにはじかれるように傘たちは、その身を起こす。そして、その直後にどこからも流れてきていないその場で生まれたに違いない爆風がグラウンドにたたきつけられ頭をもたげた。傘という傘はすべて、その風に飛び乗ったようだ。川に沿ってものすごいスピードで移動した後、グラウンドの半分くらいをぐるぐると回りながら、鉛のような空を色とりどりに染めて舞い上がっていく。垂直方向にどこまでもどこまでも上昇を続ける傘を、僕らは眼に入る雨粒を気にすることもなく見続けた。

 傘たちは、何かに導かれるようにどんよりとした雲の中にぽっかり開いた青い空に吸い込まれていく。たしかどこかで見た光景だ。どこだろう、どこだろう。そうだ、中学生時代に見た性教育ビデオのあれだ。精子が卵子に向かって護送船団形で向かっていたあれだ。なんか、おかしくて悲しいや。まるで僕たちだ、あいつらは。あはははは。

 そして、すべての傘たちは空に飲み込まれてしまった。ごーごーと鳴り続ける風と、かなぐり捨てるように降り続く雨。僕らは歌いに歌った。

おいらは傘泥棒

傘泥棒になんかなりたくなったのに

夢中にさせたお前が悪いのさ

おいらは傘泥棒


gjvs

「5分でいいから、時間をください。夜9時に行きます。」

3週間ぶりに会う彼女は、いつもどおりデニムのパンツに白いセーターでやってきた。

鉄の階段を下りてくる音にシンクロするように、僕の胸の鼓動は早くなる。

缶コーヒーを僕に手渡すと、こう切り出した。

「忙しいのにごめんなさい。わたしとあなたでは生き方が違うことにやっと気づいたの。」

やはりそうか。

「わたしがわたしでいられるように、あなたはあなたでいて欲しくて、きちんと話をしたくて、だけどなかなかあなたの忙しいペースの中できちんと話をする時間をお互いとれなくて、いいえ、わたしがその話をすることから逃げていたからかもしれないけど、この1年くらい…でも、どうしてもこれ以上、先延ばしにすることに耐えられなくなってしまって、忙しいのは分かっていたけど、メールや電話なんかで終わらせたくないと思って…。」

彼女は、話の区切りを一切つけずに、そうやって1時間以上も話続けた。

「…ごめんなさい。5分間だけで時間をとってもらおうと思ってのに。」

「1時間と5分になった。」

どうして、僕はこういう言い方しか出来ないのだろうかと思う。端的に相手を追い込む戦い方を幼少の頃から仕込まれてしまっているからだろう。

「そうね。ごめんなさい。本当はたださよならを言いにきたの。さようなら。」

多分、またいつか会うことのないさようなら。

僕らの6年間は、そうやって唐突に終わった。1時間と5分で。時間の占有率、彼女が99パーセント、僕は1パーセント。


毒人

わたしは、生まれた瞬間から毒を食して成長してきた。

毒から変換されたわたしの血や肉は、当然ながら毒を含有した、いや毒そのものとなった。

つまり、わたしそのものが毒なのだ。

「毒をもって毒を制するんだよ。」

わたしに毒を与え続けた母親は、わたしが物心ついた頃から繰り返し繰り返し、わたしにそう教えた。

決して、わたしもわたしの母親も世の中が憎いわけではない。

ただ、どうしようもなく恐ろしかったのだ。

環境から人間関係にいたるまですべてが。

母親の言いつけどおり、わたしは毒をもって毒を制して生きてきた。

何事、何人(なにびと)にも同化せず、まっすぐまっすぐ生きてきた。

母親は、こうも言っていた。

「毒はちっとも怖くないの。毒を内面に携えた生き物は美しいものなの。」

わたしは美しいのだろうか。

これまで幾人もの男たちを食い殺してきたわたしは美しいのだろうか。

そんなわたしが美しいのだろうか。

美しいのだろうか?


njaqn

こころが

ぶんぶん

鳴るような

恋というものを

忘れそうになるもんか


白シャツ

社会人になってはじめて純白のシャツを買って着てみた。

おれの仕事は、なんと表現したらいいのだろうか…。

書いた文字を消すように、個人の生きてきた痕跡を消すことを仕事としている。

出自から名前、職歴や愛する人々…そういった個人的なデータを社会的に消してしまうのだ。

簡単に言うと、死んだことにしてしまって違う名前を新しい土地で与えるのだけど

スパイ映画で見られるようなかっこいい物語ではない。

親兄弟から知人に至るまで誰にも見破られることなく完遂する。

つまり、葬式をして墓に納骨までしてしまうのだ。

もちろん、他人に身体のものであるが。

犯罪のにおいがプンプンするかもしれないし、そういったことも決して少なくないけど最近、依頼人としてポツポツと増えてきているパターンというか、人種がある。

世間で言われるところの「ニート」という存在たちだ。

彼らが甘えているとか、飢えているとか、そんなことは俺の関わる問題でもないし興味もないけど

彼らの生きてきた痕跡を消すことはあまりに空しい。

生きてきた痕跡がないのだ。

彼らにあるのは、個人的なデータだけで、「思い出」のようなヒリヒリする無形の塊が皆無なのだ。

もちろん、もともとからないのでなく、いつからか無くなってしまっているようだ。

そういったヒリヒリする塊がない人間の痕跡を消すと、その人間は本当に空っぽになってしまう。

人間はヒリヒリする塊を積み重ねながら生きている。その塊があるから生きていけるとも言い換えられる。

塊があるからこそ、リスタートをきれるわけだし、塊がなくなり名前まで失うと枠のない空っぽの箱でしかなくなる。

つまり、無限大の空っぽになってしまうのだ。

無限大の空っぽになった人間は、空っぽのまま拡散してしまい、本当にうすくうすくなってしまう。

その先にはなにもない。

リスタートするために俺の仕事はあるはずなのに、リスタート出来ない人間を完成させてしまうことになる。

空っぽの人間なんているはずない…と思っていたけど、どうやら違うようだ。

ニートと呼ばれる人々は、フリーズしたパソコンのようなものだと考えていたけど、どうやら違う。

フリーズしたパソコンに再起動かけるためのソフトが俺だとすると、ニートと呼ばれる人々はOSさえ抜かれてしまったパソコンなのだ。

OSは思い出のようなもの。そのOSがないと、再起動できない。

ぼちぼち潮時かもしれないね、この仕事。

白いシャツを買ってみた。


無題

ハレの日、大きく3度、4度、僕は舞った

そらが3度、4度、ちかくなり、とおくなり

身体をつつむフワフワしたものが消えたとき

地球に吸い込まれた

痛いのは痛いけど…わるくないね、今日は


リリーさん

本土に戻ったわたしは、はじめてわたしの方からガクに連絡した。

ガクは穏やかであるが、力強くこう言った。

「待ってた。工大駅に姉を待たせているからそこに行ってくれ。俺は、もう少し準備することが残っている。」

駅に着くと、ガクの姉であるリリーさんが全開にした車の窓ガラスから手を振っている。

「はじめまして。色々と面倒なことが起きているようだけど、まあ楽しくやりましょう。」

そう言うと車を発信させて、出来たばかりであろうタワーマンションの最上階に私を招いてくれた。

そこは、まさしく空の中だ。海の洞窟もない天空の中のスペース。

わたしはうれしくてうれしくて窓の外い向かって大きく手を伸ばした。

「気持ちいいでしょ、ここ。しばらくは、ここでわたしと暮らすことになるわ。生活に必要なものは一通り揃っているので、好きなように使ってね。洋服のサイズも同じくらいだと思うから、どんどん着てね。」

窓から見える光景は、まさしく空そのもので、リリーさんもその空のように大らかで美しく、今起きている色々な問題がまったくの絵空事のように感じてしまうほど、わたしの身体を覆っていた不安や緊張が解かれていくのが分かった。

生まれてはじめての感覚だった。干草よりもずっとずっとやわらかいもので包まれているような感じ。

わたしは、後にも先にもないだろうと思われるような深くやすらかな眠りについた。


無題

20051214.jpg

いいことを教えてやろうか

「何か楽しいことない?」

と俺に聞く前に

カッと眼を見開いて

上を上を見てみろよ


『うそ日記』書籍化 速報

どうやら、本当に出版されるようです。

http://ameblo.jp/usonikki/

収録される作品はコレ↓です。

http://ameblo.jp/airsilky/entry-10000962023.html

『蓮島のケイ』の第一話です。

収録されたのはとてもうれしいけど、今回の書籍化にあたっては文章のみとのことで

木寺さんの写真が掲載されないのが残念…。

このブログは写真とセットで見てもらうことで意識して書いているから

文章だけだと、言い足りてないことがたくさんあるような気がするから。

まあ、はじめの一歩です。

ameba booksさん、ありがとうございます。

でも、次もよろしくお願いしますw。


無題

どんなに

まっすぐまっすぐな見通しの良い道にも

たいてい…いや、かならず

ちっぽけな落とし穴くらいは

あるもんだにゃぁ


無題

赤ん坊の身体がこんなにもふわふわしていることを知っているなら

そんな簡単に人を殺せないはずだろ

立つどころか寝返りさえ出来なかったことを思い返せば

そんなしゃあしゃあとウソ並べられないだろ

ちったぁ、まともなことしろや


fea

もう待てない。

戦うしかない。


無題

発明

発見などは

えてしてこんな瞬間から生まれるものなんだ

かの賢人も言ってるではないか


中高生のような恋愛

ガクの生まれ育った島で、わたしとガクは二人きりで生活を始めた。

おどろくほど何もかもがそのままの状態で残っていたその島では、生きていくのに何ひとつ不自由なことはなかった。わたしの身体の変調をのぞいては。

わたしにはアンテナのようなものが備わっていて、そこに様々なな情報が入ってくる。その情報とは、世界中で起きている破壊に関する情報だ。

その破壊スピードが、倍倍で速くなっている。そして、わたしの身体も再度蝕まれていく。丘の上の鍼灸院で受けた施術によって、かなりの回復を得ていたのだけど、どうも元の状態、いやそれ以下になってしまったようだ。身体中の関節がミシミシと音を立てるのが分かるから。

だけど、身体が動かなくなることはなかった。ガクがいたから。中高生のような恋愛だとガクは言う。社会との繋がりを持ち得なかったわたしには、ガクの言う中高生の恋愛がどんなものか分からないけど、それは相手を想う感情が頭の中のほぼすべてを満たすような恋愛らしい。じゃあ、相手以外の誰かが侵入してくる恋愛とはどんな人の恋愛なのと尋ねるとガクは、ちょっとだけ怒った顔をして

「今この時にも、どんどんケイの身体を蝕むことをするようなことをしている大人たちだ。」

と言った。さらに

「このままずっと、このままでいたい。だけど、このままずっとはありえないし、このままではいけない。」

そう言うと、ちょっと出かけてくると言い残して、そのまま10日間が過ぎた。

わたしは、ただ待つ。それだけしか出来ない。電気がなく、水が美味しいこの島で


孤独な質問

アパートの屋上でビールを飲んでいた2人で。

ジュース片手に4歳の息子は、返答に困るようなことを言う。

「パパ、人は何のために生まれてきたの?」

「……。」

何のために生まれてきたのだろうか?

何のために生きているのかという質問よりも答えに窮する。

「何のためだろう?」

「教えて。教えて。お願い!」

「……。」

嘘はつけない。

月も僕らを見てるし。

何のためだろう。


無題

この口が

世の中にある有形無形のものすべてを

食べつくしてみたい

と言うと伝えると

男たちがとても喜ぶ


無題

豪華な花束よりも可憐な野花に惹かれてしまうようになった俺にとって

小さくいじらしい存在でも

人の目に触れると

心に暖かい灯火を点すこのてんとう虫が

あまりに眩い


学び舎

俺は12歳…つまり、小学校を卒業するまで、ある小さな小さな島に住んでいた。

そこは、産業と言えば漁業と採石場くらいしかない人口500人に満たない小さな島だった。

500人の人間と20人足らずのカッパ。うまく共存できていたんだと思う。俺たちカッパも島の小学校に行けていたくらいだから。

しかし、ある日親父が

「ここにもういることは出来ない。」

と言って、それから3日後内地と呼ばれている場所に引っ越した。

それは、ちょうど6年生のときの夏休み中だった。

友達たちと別れるのがつらく、毎日毎日一緒に遊んでいたけど、結局言い出せないまま島を出た。

そして、それからほどなくして島は突如の津波によって何もかも飲み込まれてしまった。そこに住む人々も全滅した。

親父はそうなることを知っていたんだと思う。小さな島をひとつ無くしてしまうことは、俺たちカッパにとってたやすいことだから。ネジを少しゆるめるだけでジエンドだ。

実は、その島に今来ている。

俺は、カッパの最高会議の長老たちの逆鱗に触れてしまったのだ。

ケイとのことがばれてしまったから。

ケイは、人間とカッパを結びつけている唯一の存在。それも三角形の底辺に人間とカッパがいて、頂点にケイがいるような構図だ。

そして、ややこしいのがケイが頂点にいるのではなく、頂点に存在する絶対的なもの結びついているのが、唯一ケイであるということだ。そのケイに、俺たちカッパや、もしくは人間の誰かがケイとが、その頂点に君臨する絶対的な存在の意思に背いた結びつきを行うと、カッパもしくが人間全体が滅亡に追いやられるらしい。そのずっとずっと手前の行為をしてしまったカッパが昔いて、それが原因で、現在のような影の存在としてのカッパの立ち位置があるとのことだ。さらには、その行為をしたのが、俺の親父だ。親子二代に渡って、カッパの存亡の危機に陥れたらしい俺は、長老会議によって監禁を命じられ、蓮島の独房に入れられた。

そこは、陽の全く入らないカビ臭い土壁の独房で、出入り口は土で塗り固められ食事も与えられることなく、そのまま朽ちて死んでいくしかないような場所だった。そこには、すでに白骨化した死体が一体横たわっている。俺の親父の骨だ。親父は、カッパの存亡の危機を救うために自らここを掘って、からだを横たえ、その絶対的な存在に身をささげていったらしい。なんでも、そこはその絶対的な存在に繋がっている丘で、その脈流に乗って魂を捧げるそうだ。つまり、俺にもそうしろということだ。そうすることしか、かっぱの滅亡は防げないと。

全くばかげている。ばかげているけど、出口を塞がれた俺に出来ることは何もない。そのまま朽ちていくのを待つばかりだ。

どれくらいの時が流れたのだろう…。陽の全く入らないそこに時間というものはない。ただ、猛烈な飢えと渇きが俺から生きる気力をどんどん削いでいくのを、もはや抵抗することなく客観的にただ現実として受け止められるようになってかなりの時間がたったころだ。

いきなり出口の土壁が崩れ落ちた。

まず目に入ったのは、あまりに明るい星空だ。月は出ていない。

「全くばかげている。」

星明りのもと、いっそう青白い顔のケイが、般若の形相でそこに立っていた。

俺たちははじめて抱き合った。

「ここを出て。」

新月の夜だった。闇夜にまぎれて、俺は海に入った。

そして、誰もいなくなったこの島に戻ってきた。

そう、やっと戻ってきたのだ。


h

音と音の狭間に揺れる

僕の湧き立つ下心

それがなんだってんだい

うるせーよ しようがないよ

二人とも好きなもんは好きなんだよ


北九州もん

たった1匹の小さな犬が近づいてきただけで

小さな身体いっぱいに両手をひろげ

だっこをせがむ倅(せがれ)を

どうしてこの手で殺めることが出来ようか

あいつらだけは許さねぇ


まただ

たった今、付き合っていた女の子にこの場所でフラれた。

「あなたには決定的な何かが欠けている。」

そう言って彼女は去って行った。

そう言われたのは今回が初めてではない。

前に付き合った歴史小説好きの女の子も、その前に付き合った夏はTシャツしか着なかった女の子も

同じようなことを言って僕の前からいなくなった。

僕に欠けている決定的な何かとは何だろう。

それを埋めるためには何をしたらいいのだろう。

その前に僕の中を半分くらい占めていた彼女の存在を埋めなくていけない。

右半身だけでは何も出来ない、考えられない。


ビッグスマイル

彼は、僕らの間でビッグスマイルと呼ばれていた。

いつもいつも笑っているから。

遠くで見つけてくれると、大きく手を振って笑い

ずんずんこっちに歩いてきて、ガシっと手を握って「元気?」と笑い

「じゃあね、またね。」と言って手を振りながら笑顔で去っていく。

この2つの言葉が好きなのだそうだ。

そして、この2つの言葉だけで人はやっていけるというのも彼の持論だった。

「がんばってるかい、今度会うときはもっとハッピーなお互いになっていようぜ」

という意味とのこと。

なるほど、なるほど。

ビッグスマイルは、今、イラクにいる。

きっと同じことをしているにちがいない。

今度会うときは、僕からビッグスマイルに声をかけるよ。

「元気?」「じゃあね、またね。」

早く帰って来い。


もう一人の自分

めちゃめちゃ綺麗な人だって

凛々とかっこいい人だって

1年に何度か変な顔して鏡見て

もう一人の自分を確認しつつ

にんまりすることってあるはずだ


無題

スキャンダラスなソージーです。

最近、散歩を趣味としています。

ところで、スキャンダラスって言葉はとてもスキャンダラスですよね。

なんかこう身をくねらせてしまうゾクゾク感ある響きというか。

日本語に訳すると何になるだろう?

僕的には

『まみれたソージー』

だと思うのだけど、みなさんはどげんですか?


生きとし生けるもの

わたしは生まれてくる瞬間のことを覚えている。

それまで、ゆらゆらと心地よい胎内にいたわたしにとって、外の世界はあまりに赤裸々で気持ちの悪い世界だった。世の中の憎悪という憎悪を一身に受け止めたような…そんな気分だった。『へその緒』と呼ばれるものを切られ、わたしは完全に一人になった。つながりを絶たれたのだ。

だけど、そんなに悪くなかったね、ここも。少なくとも退屈せずにいられるし。政治家も教祖様もサッカー選手もDJも美容師も幼稚園児も結局一人ぼっち。一人ぼっちの小人たちの集まり。わたしもそのうちの一人。

うん、悪くない。


丘の上の鍼灸院

ケイは今、丘の上の鍼灸院で施術されている。俺は、抱いてはいけない感情をケイに抱いてしまったようだ。四六時中、ケイのことを考えずにはいられない。

俺たちが蓮島に行く理由は、本当のところ2つある。ひとつは、蓮島にある洞窟壁のほころびを確認すること。そうすることによって、地球上の異変を把握することが出来る。そして、もうひとつが、ケイを末裔とする一族の健康状態を確認すること。これは、地球の内側で起きている異変を把握するためだ。地球は、幾多もの層によって形作られている。それらのバランスが崩れると、天災となって地表に現れる。地震がその典型だ。ケイの一族の身体は、地球と密接にリンクしているらしい。ケイの身体のひとつひとつの細胞は、地球を形成している量子と共鳴するようになっていて、ケイの健康状態は、すなわち地球の内側の状態なのだ。

現在、俺たちが行っているのは、地球の破壊活動だ。ただし、病んでしまったこの地球を立て直すための破壊活動。壊してから創る。洞窟の壁面から、地球のほころびを見つけ出し、そこを拠点にネジを緩めるように地盤をゆるめていく。地盤をゆるめると、海から水が襲う。それは凄まじいばかりの破壊力をもって、世界中の街の形あるものを洗い流す。そして、そこに新しい世界を創っていく。そうやって、俺たちカッパは、人間たちの世界を変えてきた。破壊するカッパは悪者で、創造するカッパはヒーローだ。そういう理由で、カッパ伝説には色々なタイプのものがあるのだ。

そしてその活動がケイの身体を蝕んでいく。つまり、俺がやっていることは、ケイを傷つけてしまっているのだ。たとえ、それが任務だとしても平常心でいられるはずがない。また、今、ケイが受けている施術は、少し特殊なもので、決して完治を目指しているものではない。カッパの最高決定機関がそれを望んでいないからだ。生かさず殺さずうまくやれ…とのことだ。

ずいぶん昔の話らしいが、カッパは人間との戦いに敗れ、その結果、全カッパの処刑が決定した。しかし、地球のメンテナンスをすることと現世に姿を現さないことを条件に、皆殺しの危機を免れた。そして、俺のようなカッパ200万匹が世界中の土地の維持管理を代々やってきたというわけだ。

ケイは人間かカッパか…。実は、どちらに属さない唯一の種なのだ。カッパと人間が戦いに明け暮れていた時代、突如として現れた不思議な存在…それが、ケイを末裔とする一族とのことだ。ケイの一族は、代々女系でオスを必要としない。しかるべきときに、どこからともなく子を授かり、しばらくすると母は消える。そんな一族なのだ。 母なる大地というのは、ケイの一族を地球の関係から来ているのかもしれない。

話がまわりまわってしまったが、今のケイを苦しめているのは、俺なのだ。地球のいたるところで、大災害が起きている。人間たちと人間たちが作り上げてきたものは、次々と海に飲み込まれていってしまっている。

地表は、ドロドロしたもので覆われ、そこに経験したことのない大雨がさらに降り続いている。地盤は緩み、割れ、あらゆるものが吸い込まれ、そして吐き出される。体中の毛穴から嘔吐しているような状態だ。しかし、地球はそこにとどまり、じっと嵐が通り過ぎるのを待っている。それもこれもケイが耐えているからだ。

いや、ぎりぎりのラインで耐えられるようにコントロールされているからだ。

ただ、さすがに一部の人間たちは、俺たちのカッパの反乱に気付いてしまったようだ。この人間たちは、かつての俺たちカッパと戦った人間たちの子孫だ。

また、戦いが始まるのだろうか?正直なところ、戦いがあろうとなかろうと、勝とうと負けようと興味はない。ただ、ケイの身体を案じる。それだけだ。


無題

10年後の自分をイメージして

そうなるべく努力することが

男として成功すえう近道だと

どこかで聞いたことがあるので

そうしてみた


身体の変調

ガクとの連絡が途絶えたまま、2ヶ月が過ぎた頃、わたしの身体がおかしくなったからだ。重油を注入されたように身体が重く、そしてそれが燃えるように熱い。火照っているのではなく熱いのだ。小さなころから使っている水銀の入った体温計ではかってみると、みるみるうちに水銀は昇りつめてしまった。少なくとも45度は超えているということだ。人は、45度になると生きていけないらしい。なんでも、体内の細胞は、45度という温度に耐えられないからだそうだ。たしかに、身体の中の色々なものが溶けていっているのを感じる。そして、小さな音を立てて破裂しているのも聴こえる。体内から、壊れゆく細胞の数だけ、何億、何十億いやそれ以上の数の細胞が壊れていく音は、まるで砂利の浜に打ち寄せる波のようだ。

そして、わたしの身体はある時ショートしてしまった。一人がけのソファーに座って本を読んでいたとき、プシューンと音がして動かなくなったのだ。そのまま、幾晩を過ごしたのだろうか。わたしは、不思議な香りのする部屋の小さなベッドにうつ伏せの状態で寝かされていた。肩越しに男たちの穏やかな声が聞こえる。

「奇跡の身体です。どこまでも青く深い…こんな背中をしている女性に出会ったことがない。」

「いえ、奇跡ではありません。現実なのです。この女性…ケイというのですが、ケイの身体こそが我々が何の疑問もなく立っているこの地球なのです。」

「と言いますと?」

「言い表すのは非常に難しいのですが、彼女の身体は、地球と表裏一体…いえ、同一のものなのです。それは、ケイの先祖から伝わる遺伝のようなものでして、ケイの母親も1度、ここを訪れたことがあるそうです。」

「そういうことですか。やっとわたしに鍼灸の手ほどきをしてくれた師匠が言っていたことが分かりました。」

「と言いますと?」

「師匠は、わたしにいつも言ってました。『地球のバランスに手を入れてあげたのは自分だ。お前がいまここにあるのは、今も昔も自分のおかげなんだ』と。変な話をするなと思っていたのですが、そういうことなのでしょうね。」

「多分、そうでしょう。そして、先生にケイをおまかせしたのです。」

「それは、地球を救うことになるのかな?」

「そこまでは僕には分かりかねます。わたしは、彼女をここに連れていくことを任務として与えられただけですから。」

「わかりました。やってみましょう。それにしても、すごい体温ですね。」

「2時間前くらいに計ったときは、77度ありました。」

「そんなにあったのですか。たしかにこれほど体液がフルスピードで循環していたら仕方ありますまい。では、まず身体の熱を放散させていきましょう。」

そう言うと、鍼灸師は、施術を開始した。背骨の周囲を注意深く、触診した後、幾本かの針を刺した。

どうもわたしは、島を出たようだ。


無題

連絡すべきか

連絡せざるべきか

いや

連絡してよいものか

連絡してはならぬものか

ずっとずっと考えてるんだよ


消えない痛み

中学2年生~高校2年生のころ、僕には罪悪感というものが欠けていた。

街中のいたるところに落書きをしてまわった。

最初のうちはメッセージらしきものを書いていたけど

そのうち、メッセージよりもマーキング的な意味合いが強くなって

ただスプレー缶を持って夜な夜な繰り出していた。

それを約4年間続けた。

そしてそれらを一部は、15年後の今になっても残っている。

どうしたものか思い、ある夜、僕は清掃道具を持って落書きの場所に向かいゴシゴシやってみた。

雨の日も風の日も15年間堪え忍んだ落書きは、そんなに簡単に消えることはなかった。

しかし、一心不乱に壁をこすり続けた。すると家人が出てきて、何者かと尋ねる。

僕はとっさに

「趣味で落書きを消して廻っているものです。決して怪しいものではありません。」

と言ってしまった。

「15年前にこの落書きをしてしまったものです。消させてください。」

と言わずに。

「結構です。お帰りください。」

家人はそう言うと、僕をじっと見た。

「すみません。」

僕はそう言うのが精一杯で、そのまま道具を片づけその場所をあとにした。

罪悪感を置いたまま。


考えるのやめた

たらふく飲んで
いっぱい食べて
そのまま眠る
天国のとうちゃん見てるかい?
強くなったよ私


伝える

ガクから連絡が途絶えて、1ヶ月が経った。母親が何度か口にした“恋しい”というのは、こういうときに言うのではないだろうか。身体の内側に別の生き物を飼ってしまったような自分に驚き、さらに母親の“恋しい”相手が誰だったのか、思いを巡らす。

雨が降り、風が吹き、海が荒れ、雲が走る。わたしは、小さな小屋の中で、携帯電話というガクがくれたものを見つめ一日を過ごす。

代々、わたしの家系は、予知能力や透視能力を携えて生まれ、その力を継承してきた。 ガクはいま、狭くて暗い場所にいる。そこで、静かにではあるが怒りやとまどいを感じながら身動きのとれない状態にあるようだ。そして、そこを脱出する術を考えている。いや、脱出するのは簡単な場所だ。しかし、脱出するだけでは解決しない。脱出しても辿り着くところは、場所こそ違えども同じスペースだから。

わたしは、雨の降り続く窓の外を見た。この海を渡ったところにガクがいる。

会いたい、会いたい、会いたい。

声の粒は決してなくならないと思う。ガクのいる場所に届くことを信じている


新郎・神父

「新郎さ~ん、肩に力入ってますよ~。」

今日は、足かけ10年、波瀾万丈の恋愛期間を経てのハレの日。

そう、おれとあいつの結婚式だ。

そりゃ、肩に力も入るってもんよ。

力を抜こうとすればするほど、力が入る。

あいつも同じようだ。

俺が握る手の力を強めれば、あいつもそれ以上の力で返してくる。

ん????

気が付けば、おれは彼女の手の上に乗っかっていた。

燃焼系、燃焼系、アミノ式…

そんなつもりじゃないけど…。

周囲の人々は大爆笑。

「あいつ、もう手のひらの上で転がされてるよ…。」

うるせ~。

うちは亭主関白なんだよ。

小遣いは、毎日500円だけどな…。


僕ら兄弟は小さなころ、いつも同じ靴を履いていた。

「ピッチングで大事なのは、“足の運び”だぞ。」

という親父の教えに沿ったもの。

学校から帰ると、僕らは日が暮れるまで

ただひたすら相手のグラブにボールを投げ込んだ。

軸足のつまさきにためた力を腕に上手く伝えることを意識して。

そして、靴が破れてくる箇所の位置、大きさを親父が毎日チェックする。

親父が言うには、親指と人差し指の付け根より指1本分足首側の位置から

三角形と楕円形を足したような形に破れていくのが理想と教わった。

兄弟で競争をさせたかったのだろう。

僕らはいつも同じ靴を同じ日にはき始め、毎日親父のチェックを受けた。

「何度言ったら分かるんだ!そんなに靴を無駄にするなら、裸足でやるか?」

毎日、毎日そうな風に怒られた。

だから、僕ら兄弟はその部分に全神経を集中して相手のグラブをめがけてボールを投げ続けた。

その甲斐あって、兄11歳・弟10歳のとき、その技術を習得した。

そして、おそろいの野球専用シューズを買ってもらった。

僕らの夢は、もちろん甲子園に出場してプロ野球選手になることだった。

現在、僕は毎日スニーカーで過ごし、弟は革靴で過ごす。

結局、、高校時代は兄弟でバンド活動に夢中になり

大人になって、それぞれの道を歩んだ。

小さなころの写真を見ると、いつも最初に靴に目がいく。

いつから、同じ靴をはかなくなったのだろう。


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凛とした空気の中で

目を軽く見ひらき背筋を伸ばす時間

そんなときの自分を

ちょっとだけ愛おしく思う自分は

良い歳のとりかたをしているのだろうかと思う


曲当てジェスチャー

最近、はやっている遊び…“曲当てジェスチャー”

AがBにお題の曲名を耳打ちし、それをジェスチャーによってBが他の人に伝えるという

なんとも他愛のない遊びなんだけど、お酒が入ると盛り上がること盛り上がること!

で、これがちょっと前に飲んでいるときの模様

ちなみにこのときのお題は…

「LIGHT MY FIRE(ハートに火をつけて)/THE DOORS」

これだけで、かなりもだえ苦しんだのに、彼は


「BURN/DEEP PURPLE」

で、30分後に同じことをしていた(笑)。

そのまま、火を噴く日になったしまった彼は、


「燃えろいい女/ツイスト」

をリクエストされ、悶絶していた…。

合掌…


ネジをゆるめるように

この封筒の中に指令が入っている

その指令を男に伝え

俺は次の場所に行く

今日の指令は、ここから2キロ離れた山の地盤を弛めるもの

地球の地盤は、数少ないネジでしめられたコルクボードの集合体のようなもの

もろいものをやんわりとつないでいるだけ

そのつないでいるネジをゆるめてくるのだ

ケイは今頃なにをしているのだろうか

ねじをゆるめる俺を見たらどんな顔をするのだろうか

俺もケイも逃れられない宿命のようなものを背負って生まれてしまった

宿命を変えることは出来ないのだろうか

自由になりた


うつむくと空が見えた

あの人からの連絡が最近、途絶え気味だ。それまでは、3日に1度は連絡をくれていたのに、それがだんだんペースダウンしていき、10日前の連絡を最後に今日にいたっている。

蓮島の海は、春を迎えて少しだけ潮の香りを強くなった。わたしは、この移り変わりを今年ほど感じたことはない。生命の波動のようなものとシンクロしてしまう。海の向こうから渡ってくる香りに、ガクの匂いを感じるのだ。わたしの知らない、知ってはいけない土地からやってくるガクの匂い。

いちばん最後にあった連絡で、ガクはこう言っていた。

「俺たちは誰にも祝福されない運命なんだ。だけど、それもいいかもしれない。誰もいなくなってしまうかもしれないから。」

わたしは、この蓮島で生まれ、祖母と母親を相次いで亡くした。時々、この島にやってくる男たちは、わたしにとって海鳥たちのようなもので、何もわたしに与えてはくれなかった。ガクを除けば。つまり、誰もいなくなることは怖くない。だけど、誰もいなくなるとはどういうことなのだろう。

わたしもガクもいなくなるのだろうか。

本当は、そのことを聞きたかったのだけど、口に出そうとした瞬間に心がざわざわしてきて言い出せなかった。

これから、わたしとガクはどこに向かい、どこに辿り着くのだろう。

昨日から降り続く雨は、雲の切れ間の青空をそれがすべてであるかのように切り取っていた。


ローカルスター

おれっちは、結構有名人

街を歩くときは、それなりに変装が必要なんだ

どうだ、これだったら誰だか分からないだろう

うけけけけ


ただいま

生きていると、まあ時々つらいこともあるわな
だけど、ぼちぼち復活したぞな
がしがし書き進むぞいなもし
ばしばし写真をよろしくぞなもし
きでらさ~ん


ありえねぇ~

朝、スタジオに行くと、警察がどやどやといる。

ニセ札がここで見つかったらしい。

スタジオにはたくさんの人が出入りするから、だれのものか分からないけど

いかにもニセ札の200万円札がソファーの上に1枚あった。

200万円札だよ、200万円札。

ありえねぇ~。

だけど、周囲は大まじめ。

鑑識(と呼ぶのかな)の方から

「お札があった場所を指してください。」

と言われ、パシャリ。

やっぱ、ありえねぇ~。


抱く

つよくつよく抱きしめられて

わたしの背骨は

かならず一度音をたてる

その音をいつまで聴かせてくれるのだろう

願わくばずっとずっとお願いします


15年後のいま 2

「行きたくても行けない“とき”があるんだ。」

と15年前に言ったけど

行きたければ行けない“とき”なんてありはしない。

行きたくても行けなくなった“いま”が

ときどき、無性につらくなることがある。


15年後のいま

1杯のコーヒーを入れ、1本のタバコを吸う間に

僕は、彼女に伝えるべきだった。

それがラストチャンスだったんだ。

と、15年後の今に気付いた。


僕の着る洋服は、強い色の無地ものが多い。

そして、最近いいなと思うものは白のシャツ。

青空にぽっかり浮かんでいる雲のような白いシャツ。

しかし、これがなかなか難しい。

これまで着てこなかったから、どうもしっくりこないのだ。

彼女ように、白が似合う人になりたい。

ふわふわしたものを着て、かっちり生きたい。


尊敬する藤井様

あなたがトランプを口から出すのであれば

わたしは花々を出してみせます


引っ越しました

引っ越しました

2年ごとに引っ越しを重ねて14年になる。
毎回、3月に引っ越しをして新たな気持ちで4月を迎えることを常としている。今回の物件はちょっとおもしろい。

“格安物件 バス・トイレ別 広々ワンルーム 給湯あり 電気なし”

電気が通っていないことを除けば、かなり良質な小型マンション。マンションのオーナーもここに住んでいるとのことで、彼のライフスタイルゆえの物件らしい。だけど、住んでみてその快適性を実感している。
風呂などはガスがあれば問題ないし、なによりも電気がないことによってこのマンションはとても静かなのだ。夜になれば、大きめの窓を通して入ってくる街灯や月明かりくらいの照度で、とても暗い。人というものは、とても不思議なものでそんな部屋の中では、なぜかひそひそ話してしまう。
そしていろいろなことをひそひそとじっくり話した後、それまでの就寝時間からはいささか早い時刻に寝て、次の日早く起きる。
なんだか、ワンランクアップの生活をしているような気がしてくるから不思議だ。
なんとなくではあるけど、2年後、そのまま住むことを考えているような気がする。


地球は…

土と水で出来ていて

それでいて丸いのだ


ガクの独白

蓮島を俺たちが定期的に訪れているのは、この地球のバランスを保つためだ。蓮島の防空壕跡から入り、祭壇でカモフラージュされた入り口を抜け、細いトンネルをひたすら下ったところに、エリアCと呼ばれている場所がある。エリアCは、直径10メートルほどのきれいなドーム状をしている。誰かが作ったのか、それとも自然の造形物なのか今となっては誰も分からない。そのドームの壁面には、北半球の立体地図が土と顔料によって形成されている。多分、数百年いやそれ以上の年月を経ているものだろうが、地中の奥深い場所という条件の中、驚くべき良好な状態を保たれいる。その立体地図の変化を1ヶ月に1度、俺たちは確認しに行く。
立体地図は、その姿を微妙に変化させる。顔料がはがれていたり、盛られていた土が崩れていたり…。その崩れ方によって、俺たちは指令を出す。
「○○地区を破壊レベル12で実行」といった具合に。
さらなる説明をすると、まず破壊レベルは最高値が100だ。ちなみに原爆が77、スマトラ沖の地震が39。そして、その指令を受けた仲間たちは、代々伝わる秘法を使い、指定された地区を破壊していく。その方法については、話せる時期が来れば話す。ただ、その秘法は、戦争を起こすことも出来るし、天災地変を自由自在に操れる。
つまり、この立体地図の変化が、地球上の大きな災害と直結しているのだ。そして蓮島は、北半球を担当している。また南米のある島には、南半球の災害と直結する立体地図がある。
信じる、信じないは自由だ。しかし、俺たちの任務はそんなところだ。破壊する行為が正しいことかどうかは疑問を持つことはない。正しいかどうかなんて気にする必要がないからだ。俺たちがやらなければ、誰か他がするだけのこと。壁面の立体地図に俺の考えが及ぶことはない。つまり、意志を持っているのは俺たちではなく、あの場所のあの立体地図なのだ。
だけど、気になったり、心を痛めることはある。まずひとつに、最近、立体地図の姿の変化スピードがあまりに速い。その度に、変化具合を解析して指令を出すわけだが、5年ほど前まではなかった1度の来島で複数箇所の解析を頻繁に経験するようになった。つまり、災害の数が加速するように増えているということだ。
二つ目は、結果的に人間の死に携わってしまうことがつらい。さっき、任務の正義に対して疑問を持つことはないと言ったが、あれは自分に対する言い訳のような気もする。災害によって死んでしまう人間たちの生命を経つべく、スィッチを押しているのは俺たちなのだ。
そして、3つ目。俺の弟の住む地区の破壊指令を出さなくてはいけない可能性が出てきたことだ。そのエリアの顔料が今にも剥がれ墜ちそうになっている。そっと息を吹きかけてあげるだけで、はらはらといってしまいそうなのだ。弟には、そのことを知らせた。弟は、ひとしきり泣いた後、こう言った。
「やっぱり僕はイヤだ。やっと友達が出来たんだよ、人間の。」
俺たちは、かっぱだ。かっぱと言えども、頭に皿はなく姿形は人間そのものだ。古くは、かっぱと人間は共存していた。かっぱを追いやったのは、人間たちだ。ただ、地球を破壊するのは、その復讐のためではない。何度も言うが、場所やレベルを決めるのは、あの空間だ。あくまで、俺たちは中立だ。
ただ、中立であっても、どちらかに振れることはある。
その原因は、弟のことであり、ケイのことでもある。
俺に出来るのは…考え抜くことだけだ。


ある朝自分に言ってみた

「いいときもあれば、わるいときもある。今日はいい日だよ、きっと。」


誰かいい人

わたしには戸籍がない。それは社会と関わる必要がないからだ。生まれも育ちも蓮島という地図に載ることのない場所。詳しく書くことが出来ないが、ここは国家機密に属する最たる場所で、その場所をたった1人で面倒を見なければいけない。面倒を見るといっても、何かと戦うわけでもない。ただここで生活しながら、時々来る男たちを待つだけだ。来る日も来る日も待つだけ。それは、江戸時代から続くわたしの家系の宿命らしく、逃れようがないのだ。
そして、島に時々来るその男たちは、島に残る防空壕の中に入り、そこから3日間くらいかけて何かをやっているようだが、何をしているのか分からないし、聞いてはいけないし、自分で調べてもいけない。まあ、そんなに興味があるわけでもないが。とにかくわたしは、ただ待つだけでいいのだ、いつも、いつまでも。
わたしの母は、2年前の夏に他界した。いや、どこかで生きているのかもしれない。というのは、今日みたいに空がきれいな日に、祖父母の墓に花を活けてくると言って出て行ったきり帰ってこなかっただけだから。母親との別離は寂しかったが、すぐ慣れた。蓮島というのはそんな場所だ。起きたことを受け入れなければ生きていけない。そう言えば格好いいが、実はもう一つ理由があるような気もする。母親が言っていた『誰かいい人』が見つかったのだ。『誰かいい人』は、時々やって来る男たちのうちの1人で“ガク”と呼ばれていた。ガクは男たちの中でもとりわけ野性的で、いつもギラギラしている。ガクは無口だ。無駄なことを一切喋ることはない。そのガクが、わたしに新しい機械を与えてくれた。
「これを渡したことは内緒だぞ。見つかると俺たちは…。使い方は、追々教える。」
これは通信機のようなものだと思う。島に来る男だちが、これを耳に当てて外部の誰かと喋るのをよく見かける。いまのところ、この通信機のようなものはわたしに何も与えてくれていない。ガクとわたしは、この機械で繋がることが出来るのだろうか。
わたしは外部と接触することを禁じられてきた…母親に。だから、男たちと話をしてはいけないと教えられてきた。しかし、その母親に
「あなたにもそのうち『誰かいい人』が出来るといいわね。」
とも言われてきた。ガクは、その『誰かいい人』だろうと思う。
生まれてはじめての『誰かいい人』と小さな宝物…風は冷たく空は青い。


何が嬉しいって、生まれてはじめて自分の部屋が持てたんだよ!


大塚くんの部屋へ

作戦会議をしようということになり、大塚くんの家に招かれた。
大塚くんの家は、かっぱ塚のすぐ近くにあった。かっぱ塚の裏の林を抜け、防空壕跡に入り、その奥にある土でうまくカモフラージュされた扉を開けると、かっぱの集落があったのだ。僕が生まれていないころの日本の風景とはこんなものではないだろうかと思われる“懐かしい”色調の街並みだった。その集落の中でもひときわ目を引く大きな建物が大塚くんの自宅で、縁側から直接家に入り、2階にある大塚くんの部屋に入った。
「ちょっと見ていてください。」
大塚くんはそう言うと、大きな木のブロックを積み上げ始めた。僕に背を向けまま慣れた様子で次々とブロックを積みあげ、瞬く間に“家”が完成した。
「これを壊してみてください。」
大塚くんは、木で作ったブロックの脇によけ僕を手招きした。僕は、いいのかなと思いつつ、ブロックの上半分くらいを押し崩した。大塚くんは、僕の行為を見て悲しいそうな顔をした。
「ごめん。僕だって壊したくなかったんだよ。大塚くんが作ったものだし。だけど、大塚くんが壊してくれって言うから。」
しばしの沈黙の後、大塚くんは狂ったのかというくらい木で作った家をぐしゃぐしゃに蹴飛ばした。それは、いつまでも続いた。僕は唖然として見ていたけど、大塚くんの白い靴下に血がにじんでいるのを見てから我に帰り、大塚くんを羽交い締めにした。大塚くんは、それでも足をバタバタさせて木のブロックを蹴ろうとする。顔を見ると、涙でぐしゃぐしゃだ。
「だから、人間は駄目なんです。壊すことさえ出来なくなってしまっている。壊すときは、いっぱい壊さないと意味がないんです。お父さんが言っていました。人間は創る力があるのに、壊すことを忘れている。恐れている。壊さないから創れないんだ。かっぱと人間は、ずっと昔一緒に生活していたんだよ。だけど、人間は自分たちだけで何でも出来るからと、どんどんかっぱを隅の方に追いやって、人間たちだけで生活するようになった。そして、創ることも壊すことも出来なくなった。お父さんたちは、ぐしゃぐしゃに壊すつもりだよ。壊してみて、何も創れなかったら乗っ取るつもりみたいだよ。僕は嫌なんだ。力で乗っ取るなんて。仲良くしようよ。みんな仲良くしようよ。」
大塚くんは、僕にしがみついたまま延々と泣き続けた。
無茶苦茶な話で、唐突な話で、どっきりだったら、あまりに手が込んだ仕掛けだけど、僕はなんとなく本当の話かもしれないと感じ、それはそれで大変で、だけど何をどうやったらいいのか分からないまま、大塚くんをぎゅっと抱きしめたまま散らばったしまった木のブロックを眺め続けた。


モーカル

こんな企画がアメーバブログで進行中らしい
よっしゃぁ、妄想ブログ代表としてエントリーするぜぃ。
このブログのどこをどう切っても、この企画にうってつけのような気がするのは気のせい?

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(そして本編です)
『儲かる(もうかる)』という日本語の語源には2つの説があるそうだ。
その2つとは

1,「牛(モー)+COW(カウ)」から「儲かる」になった。
2,「牛(モー)+飼う」から「儲かる」になった。

どちらにせよ、明治時代、文明開化の波に乗って、牛肉を食すようになって以来、子牛を飼って成牛にし、それを売ることが庶民の中で大流行した中、「儲かる」という言葉が生まれ、それが『牛』にまつわるものになったということ。
信じるも信じないもあなた次第です


道を踏み外す

“道を踏み外す”ことは、アスファルトの道から外れること。

上等じゃん。

道の脇のわずかな土の上を歩けば、“地に足がつく”。


大塚くんの出発

画像の確認

かっぱの大塚くんに
「なんとかなるように、なんとかしてください」
と頼まれて1週間がたった。もちろん、翌日もその次の日もいつも通りのコースを走ったけど、大塚くんはあの日以来、かっぱ塚に現れなかった。釈然としない気分のまま、毎朝決まったコースを走っているうちに、僕は大塚くんに会うことをとても楽しみにしていたことに気付いた。
もはや、大塚くんがかっぱであろうが、かっぱ塚から見える景色が変わってしまおうが、どうでもよかった。大塚くんに会いたかった。変な話、初恋の女の子が、ある日突然、転校してしまったような気分だった。
小雪のちらつく日、僕はいつも通りのコースを走った。
大塚くんがいた。スーツのアタッシュケースという、ものものしいけどかわいい格好で。
「おはようございます。スイミングスクールの合宿に行っていました。」
「あ、あ、そ、そう。」
「この間の話、考えてくれましたか。」
考えてはいたけど、考えがまとまるはずはなかった。だけど、こう言っていた。
「僕でよければ、やってみるよ。」
大塚くんは、アタッシュケースを投げ出すと、かっぱ塚のまわりをぐるぐる走り始めた。
「やったぁ、やったぁ。」
走りながら、平泳ぎをするときのように手をすいすいとさせる。
「やったぁ、やったぁ。たくさん泳げるようになったし、いいことばかりだぁ。」
なんだか、僕もうれしくなった。なるようになればいいさ。もしかしたら、ヒーローになれるのかな。
「では、明日から作戦会議ですね。」
大塚くんは、そのまま泳ぎながら帰って行った。


サコがいる場所

お元気ですか?この間は、急な手紙で驚いたでしょうね。
最近、より信頼出来るルートを紹介してもらったので、もしかしたらこれから時々手紙をかけるかも…です。

さて、わたしとあなたが抱えていた問題は、“曖昧なもの”に対する考え方の違いです。
あなたは、“曖昧なもの”を好み、わたしは嫌いでした。
わたしはあなたのように“曖昧なもの”の中で楽しく泳ぐことができなかったのです。わたしは、その日に起きた問題はその日のうちに解決したいタイプだったのに対し、あなたは明日出来ることは今日しないタイプだった。
そしてわたしたちは、現在の選択をすることにしたの。
あなたは記憶を消し、わたしは姿を消す。

わたしのいる場所は、モノクロームの世界です。
白と黒で構成されています。ここはわたしが望み選んだ世界です。
白と黒の世界では、すべてのことがシンプルです。
濃いか薄いかしかないのですから。

なんだか眠くなってきました。
またお便りします。


墜ちる

自分が自分でなくなっていくよう瞬間の連なりを

自分でないような自分がおぼろげに認識していく様を

自分自身だと思っている自分が観察することを

自分で不思議だと思いながら時々やってみる


片づけ

僕は、部屋が散らかるのが大嫌いです。

だけど掃除することは、もっと嫌いです。

だから、どうしても周囲の人々に怒られてしまいます。

でも、本当にそうなんです。

掃除が嫌いなのです。


こだわり

僕は、変なところにこだわるところが多々あって、その中に
「白いお皿を汚さずに食べる」
というのがある。ということで、半熟卵は難敵。薄皮をフォークで破って、グリグリしつつ、白身と一緒に食べるのが一番美味しいのは分かっているけど、黄身でお皿が汚れるとすごくブルーになる。だから、目玉焼きはカタカタに作るか、大口あけて半熟目玉焼きを一口で食べるかどちらかだ。
多分、損をしていると思う。最もおいしい食べ方で食べられないのだから。しかし、それ以上に白いお皿を汚すのイヤなのだ。
フライにソースをかけるときも、細心の注意が必要だ。ソースが、白いお皿にこぼれるのはNG。しかし、ソースが大好き。だから、少々行儀は良くないが、フライの表面に箸やフォークで、プツプツと貫通しない程度に穴を開け、そこに染みこむようにソースを垂らす。
変なところにこだわること多々。
今日は、その中のほんの一例を紹介。
みなさんは、「マイ こだわり」ってありますか?


ロック系のエンジニア

かっぱの大塚くんとは、それから毎朝会う。もちろん、場所は“かっぱ塚”前で。30過ぎの僕と、10歳前の大塚くんで、どんな話をしているかというと…実に多岐にわたっていて、加えて僕が大塚くんから色々教わっているような状況。よく跳ぶ紙飛行機の作り方から、国際経済の裏側まで。じつに大塚くんは、ものごとをよく知っている。そして、10歳前のボキャブラリーで話してくれるので、この上なくシンプルで分かりやすい。
「ところで大塚くんは、そういったことをどうやって知るの?」
大塚くんは、ちょっとだけ寂しそうな表情をしたけど、すぐにいつもの笑顔に戻ってこう言った。
「お父さんから教えてもらうのです。僕は、かっぱだから学校に行けないのですが、その分、お父さんが何でも教えてくれます。お父さんは、偉い人なので、何でも知っているのです。」
ちょっと意地悪かなと思ったけど、こう尋ねてみた。
「じゃあ、お父さんはどこでそんなに沢山のことを知るのかな。」
「お仕事でだと思います。お父さんは、朝早くから夜遅くまで休みなく働いていますから。」
「お父さんのお仕事は何?」
「ロック系のエンジニアです。」
「ロック系のエンジニア?」
「そうです。お父さんが言うには、世の中は、すべてロックなのだそうです。“壊して創る”…つまり、世の中の色々なものを壊してから新しいものを創るための装置を設計しているのです。だけど、最近、勝手な人間が増えすぎて、そのバランスが崩れていると、お酒を飲み過ぎたときに言っていました。かっぱの力が及ばないと嘆いていました。そして、やりたくはないけど、勝手な人間たちに“ぎゃふん”と言わせてやるしかないと言ったのです。その“ぎゃふん”のはじまりに、ここから見えるこの景色を選んだとこっそり教えてくれました。」
「そんな大事なことを僕に教えてくれていいの?」
「本当はいけないことです。だから、内緒にしてください。だけど、僕は人間や動物、植物がいっぺんに沢山死ぬようなことは嫌いです。怖いのです。と言っても、僕のような子どもが何を言っても、かっぱの世界では、その意見を聞いてもらえることはありません。だから、こっそり、ここに来て、こうやってこっそり教えてしまっているのです。お願いです。なんとかなるように、なんとかしてください。」
僕は、黙るしかなかった。大塚くんの言うことは、あまりにオカルトチックでそのまま受け入れることは出来ないけど、彼との交流の中で、彼が嘘をついたり、知ったかぶりをしたことは一度もなかった。
「なんとかしたいけどな。でも、僕には、そんな力があるとは思えないよ。ジョギングして、僕である必要もない仕事を毎日こなして、ビール飲んで寝ることをただ毎日繰り返しているだけの大人だから。」
「僕は、そうは思いません。お父さんが言っていました。“早起きする人間は、ほぼ真人間だ”と。だから、勇気を出してお願いしたのです。」
「そうか…お父さんがそう言っていたんだね。うむうむ。ちょっと考えてくるね。」
ややこしいことは苦手なんだけどな。


手紙

僕は、郵便受けを毎日見る習慣はない。そこに入っているのは、DMか公共料金などの請求書くらいだから。払い込みは、自動引き落としになっているので、通帳の中をある程度満たしておけば、請求書を見る必要もないし。大事な要件は、メールで送ってくるしね。そういう理由で、郵便受けの中は、戦場のような状態で紙類が押し込まれている。
いつものように朝のジョギングから帰ってくると、その郵便受けの差し込み口に鮮やかなオレンジ色のA4サイズの封筒が入っていた。その色があまりにきれいだったので、手にとってみると差出人の住所どころか、宛先の住所も書いてない。書かれているのは、僕の名前だけ。その字になんとなく懐かしさを覚えて、その場で封筒を開けてみると、1枚の写真とブルーともグリーンともとれるような微妙な色合いの便せんが入っていた。そこに書かれている内容は、もう何百回も呼んだ。

おひさしぶり。そして、ごめんなさい。わたしは、あなたが“サコ”と呼んでいる女性です。そして、あなたと4年間一緒に住んでいました。その間、あなたは、わたしのことを“サコ”と呼んでくれ、大事に大事にしてくれました。それは、今のわたしにとってもかけがえのない時間でした。わたしが、何故、姿を消したのか?それはまだお話することはできないのです。ただ、これ以上あなたを混乱させたくないのでこういった形でお知らせすることにしました。わたしが今いる世界からあなたに手紙を出すことは、とても困難なことで危険を伴うのですが、わたしにとってあなたは何よりも大切な人なので、手紙を出してみます。きちんと届くといいのだけど。そして、ポストを見る習慣のないあなたの手元まで到達することを願います。
実は、ある時、わたしとあなたは、ある大きな問題を抱えてしまったのです。大きな問題というよりは、深い問題といったほうがいいのかもしれません。その深い問題であなたとわたしは長い時間かけて話し合いました。それは、出口のない議論だったかもしれません。しかし、わたしとあなたは幾晩も話し合いました。そして、出た結論の結果が今の形なのです。
“あなたは記憶を消して、わたしは姿を消す”
そんなこと不可能だと思うでしょう。わたしもあなたも、そう思ってました。しかし、その方法は、インターネットを使うと意外と簡単に見つかりました。
見つかった時、もう一度、よく話し合いました。そして、結論は同じでした。
わたしは、あなたの見えない世界にいます。そして、その世界を往来できるのはわたしたちの飼っていたネコくんなのです。わたしとネコくんは、うまくやっています。というより、ネコくんのネコくん中心で世界が動いているから、それがどこの場所であっても、ネコくんはネコくんなの。
わたしは、いつかまたあなたと暮らしたいと思っています。だけど、今は無理です。もしかしたら、ずっと無理なのかもしれません。だけど、わたしはあなたを待ち続けるでしょう。
では、お元気で。


カーステレオから聴こえてきた

「木綿のハンカチーフ」
松本隆作詞・筒美京平作曲

恋人よ 僕は旅立つ
東へと 向う列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ
いいえ あなた私は
欲しいものはないのよ
ただ 都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って

恋人よ 半年が過ぎ
逢えないが 泣かないでくれ
都会で流行(はやり)の 指輪を送るよ
君に 君に似合うはずだ
いいえ 星のダイヤも
海に眠る真珠も
きっと あなたのキスほど
きらめくはずないもの
きらめくはずないもの

恋人よ いまも素顔で
口紅も つけないままか
見間違うような スーツ着たぼくの
写真 写真を見てくれ
いいえ 草にねころぶ
あなたが好きだったの
でも 木枯しのビル街
からだに気をつけてね
からだに気をつけてね

恋人よ 君を忘れて
変わってく ぼくを許して
毎日 愉快に過ごす街角
ぼくは ぼくは帰れない
あなた 最後のわがまま
贈りものを ねだるわ
ねえ 涙拭く
木綿のハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい


かっぱのオオツカです

僕の毎朝の日課は、過酷なジョギングだ。朝起きると、どんなにきつくても…いや、むしろきつい方がいいのだが、一口だけミネラルウォーターを飲んで家を出る。そのまま、高塔山という小学生の遠足スポットの頂上目指して走る。
きつければきついほどいい。
そこの頂上には、『かっぱ塚』という塚がある。全国各地にあるようだが、この辺りにもかっぱ伝説があって、それゆえの塚が鎮座している。そのかっぱ塚が、僕のジョギングコースの中間地点であり、休憩場所だ。酸欠状態になった脳に、徐々に酸素が送り込まれるのを楽しむ場所でもある。
もちろん、今朝もいつも通りかっぱ塚目指して走った。いつもとちがったのは、先客がいたことだ。小学高学年くらいの少年が、僕が走ってくるのを待っていたかのように、かっぱ塚の台座に座っていた。
「おはようございます。」
その少年は、きわめて正しく挨拶をした。まっすぐ、こちらを見て。
「おはよう。早起きだね。」
「久しぶりです。こんなに早く起きたのは。いつも、お昼くらいに起きるんです、僕。」
学校は?と言いかけてやめた。言いたくない事情があるかもしれないからだ。
「今、『学校は?』と思ったでしょ?」
ドキッとした。
「僕は学校に行ってないんです。かっぱですから。かっぱに学校はないんです。」
わけわからない展開になってきたぞ。
「信じてもらえませんよね。僕がかっぱだってこと。」
「信じないというよりは、びっくりだよ。だって、頭にお皿もないし、見た目は人間だし、来ているものも、それはこのあたりの小学校の体操服じゃない?」
「着ているもので判断してはいけませんよ。外見で判断してはいけません。かっぱだって体操服を着たいのです。というわけで、今日はご挨拶にやってきました。今後もよろしくお願いします。」
お願いしますって、何、何、何?やや酸欠状態のままの頭で必死に考えていると、かれは、ぴょーんぴょーんと人間離れしたバネを発揮して、裏の藪へ向かったかと思うと、くるりとこちらを向いて大きな声でこう言った。
「僕の名前は、オオツカ。大きい塚と書いて、大塚です。ここから見下ろす景色を覚えておいたほうがいいですよ。近いうちに、大きく変わるってお父さんが言っていました。僕のお父さんは、かっぱの中では偉い人だから、色々なことを知っているんです。どう変わるかは、今度お教えします。では、さようなら。」
ぴょーん、ぴょーん。
ここから見える景色が変わる。かっぱの大塚くん。わけわかんねー。
まあ、いいや。携帯で、写真を撮っておこう。


ポストカード配布のお知らせ

ちょっと前にお知らせしましたように、ポストカードの配布をします。
木寺氏の写真に僕の妄想文章をつけた、ちょっとだけ“粋”なカードです。
反響があれば、今後、定期的に発行していこうかと話し合っています。
作るからには、たくさんの方に届けたいので、どんどんお知り合いの方やショップなどにも紹介してください。まとめて郵送するもの可です。
僕らのさみしい財布の中身が、空っぽになるまでは“無料”です。
そのかわり、、なんかください。(嘘です)

郵送を希望される方は
『郵便番号、住所、氏名』を明記して下記のアドレスまでメールにてお知らせください。
言うまでもありませんが、個人情報を悪用することはありませんし、悪用のやり方も知りません(笑)。
どしどしご応募ください。
お待ちしてま~す


極彩舞踏会

開演してから、そのダンサーは舞台の中央に立ち、身をかがめた。まるで獲物を狙うヒョウのように。
舞台の袖のある1点を見据え、長い両手を広げた。舞台と客席は、照明の降り注ぐその音さえ聞こえるくらい静寂で張りつめている。
これから、何が起きるのだろう?誰もがそう思っていたに違いない。
左手が動いた。いや、性格には左の肘から先が動いた。1度、2度…延々とその動きが続く。
どれくらいの時間がたったのだろうか。左手のその動きはまだ続いている。
そして、止まった。同時にすべてが静止した。空間、時間…思考。
ダンサーがはじめて客席を見た。いや、こちらを向いただけで見ていなかったかもしれない。ほんの少しだけ、白い歯が見えた。微笑んだのだろうか。
舞台の幕が降りる。
僕の左手は、汗でじっとり濡れていた


お正月集合写真に我思う

少子高齢化が進むらしい。それにつれて、僕らは大変になるらしい。
だけど、実感としてとらえることが出来ないんだよね


新年シニカルシンキング

“パワースポット”と呼んだらいいのだろうか、僕のお気に入りの場所がある。そこは、まさしく神々しい雰囲気で、耳を澄ますと滝が逆流するような轟音が心に響く。杉並木が整然と立ち並ぶ山道を登りきった場所にある直径10メートルに満たない円形の空き地。何も祭られていない祠(ほこら)が鎮座し、その対面に二人座るのがやっとなくらい大きさの丸太が転がっている。
 今年は、元旦の朝から大雪が降り、家の前を流れる川以外は、すべてが白に染まった。車にチェーンを装着し、ゆっくりゆっくりその場所に向かう。山道と言っても、山の上にあるわけでなく、30メートルくらいの小さな丘に向かうゆるやかな道だ。その麓の竹藪の脇には車1台分の開きスペースがあり、真新しい雪が積もっていた。その雪にタイヤの跡を付けてしまうのは、なんだか勿体ないような気がして、タバコ1本吸う間だけ躊躇したが、結局、車を停めるためにゆっくりと前進した。
 祠(ほこら)も丸太もいつも場所にあった。傘をさしたまま、丸太の雪を払い、途中、コンビニで買ってきた缶コーヒーを開け、雑誌が入ったままのコンビニ袋を座布団のようにして丸太に腰掛けた。
 いつものように耳を澄まし、吸い上げられるような墜ちていくようななんとも言えない感覚に身をまかせていた。
「宇宙人は存在するのだろうか?」
 これまで考えたこともないクエッションが僕の頭を占領しだした。宇宙人というのはひとつの例えで、存在するものの定義を考えていたというか…そんな状態。目に見えるものは、すべてが光の屈折を眼球を通して脳が認識する。つまり、光の干渉を受けないと僕らには、“見えない”のだ。“見えないこと=存在しない”。そんなことをとどめもなくぐるぐる考えていた。
 では、この場所はどうなのだ?何も見えないけど、何かを確実に感じる。気のせいか?いいや違う。
 ナニカガアル ナニカガイル。
 光とは別に音のことを考えるともっと分かりやすい。人の耳には、“可聴領域”があり、その帯域を外れると聞こえなくなる。コウモリには聞こえても、人には聞こえない音があるのだ。では、光の世界にも同じようなことがないのだろうか?
 あるような気がする。見えないだけで、存在するもの。“概念”とか“魂”とかそういった類のものではなく、“物”として存在するけど見えないもの。
 「宇宙人は存在するけど、見えない」
 なんか、そんな気がしてきた。だからどうというのではなく、存在するけど見えないものがあれば、なんだか楽しい…そう思った。
 元旦の大雪の日に、35男が無邪気に考えている姿は滑稽だけど、僕自身としては、とても満足のいく結論を得た。
 直近の生産性0の思考の積み重ね。なかなか、そんな時間を作ることが難しくなっている昨今、幸先の良いスタートだ。



素振り 素振り 素振り

今年は酉年。あれ?年男じゃん。
来年は戌年だっけ?わんわん。

 『手に職を付ける』って大事なんだろうけど
それ以上に大事なことは『好きなことして収入を得る』だと思う。
ただし、豆が破れてその上に豆が出来るほどバットを振り続けなければ、夢はかなわないだろうけど。
それさえ辛ければやめればいい


説教なんて聞きたくもないし、したくもない

「キミタチニ ハ ムゲンノ カノウセイ ガ アル」
 小さい頃から、同じようなことを言い方を変えて何度も聞いてきた。その度になんだかおもしろくない気分になった。どうしても、自分の可能性が無限だとは思えなかったから。ひねくれていた僕は、「敗者の大人がえらそうなことを言うな。お前がもっと頑張れ。」とさえ思っていた。それは、あながち外れていないと思う。
 人に説教する大人になりたくない。
 まずは自分だ。息子にもそんな自分をまず見せたい。


説教なんて聞きたくもないし、したくもない

「キミタチニ ハ ムゲンノ カノウセイ ガ アル」
 小さい頃から、同じようなことを言い方を変えて何度も聞いてきた。その度になんだかおもしろくない気分になった。どうしても、自分の可能性が無限だとは思えなかったから。ひねくれていた僕は、「敗者の大人がえらそうなことを言うな。お前がもっと頑張れ。」とさえ思っていた。それは、あながち外れていないと思う。
 人に説教する大人になりたくない。
 まずは自分だ。息子にもそんな自分をまず見せたい。


いざ勝負

クリスマスだから、ちょっと気取ってみたかった。
 キメたかったからね。
 結果は惨敗…。
 物心ついてから、2勝9敗9引き分け。
 それなりに落ちこんで、涙もにじんできたけど。
 心配無用。今は、もう復活。


ポストカード郵送配布の予定あり

今日はクリスマスイブなんだね~。
 最近、いいことないからサンタさんにおねだりしよっと。
 内容は、秘密なのだ。

追伸・このブログでコラボをしている木寺さんと「ポストカードを毎月作ろうか」というアイデアがあります。木寺さんの写真に僕の妄想文章を記した小粋なポストカードです(笑)。そして、そのポストカードを作って希望する方にお送りするという…まあ、ささやかな企画ですが郵送を希望される方いらっしゃいますか?「くれ」「ほしい」という方がどれくらいいらっしゃるのか…もらってくれる方は、コメント欄にでも書き記してください。もちろん、住所など個人情報は、いまのところ不要です。
無料ですので、希望される方はどんどん仮申し込みください。いないと寂しいな~(笑)。


ビター クリスマス

僕は結構なレベルの優柔不断男だ。だからいって許されるわけではないけど、それが原因で、ふたりの女の子と同時に付き合うことになってしまうことが、昔よくあった。
 予備校に通っていた時分にも、そう状況のことがあった。そのときの口癖が
「なんだかな~。」

「まあ、いいや。」
 このふたつの言葉は、言わない日がないくらい連呼していたな。まあ、そんな話はとにかく、ふたりの女性と付き合っているから、2倍幸せというわけでもなく、逆にそれ故に鬱々とした気分にまみれていた。
 予備校生にクリスマスはない。クリスマスが終わり年が明けると、本格的に受験シーズンに突入するからだ。そんなわけで、クリスマスイブの日に、予備校の外を流れている川の脇のてすりに座って、タバコを吸っていた。小雪がちらついているような寒い日で、ふたりの女の子のことや自分の将来のことなどをあてもなく思い巡らせつつ。
 すると、自転車に二人乗りをしたカップルが向こうから向かってくる。二人は、満面の笑顔だ。汚れ放題でチェーンも緩んでいる。左側のハンドルには、ケンタッキーのチキンの箱がぶらさがっている。前に乗っている男性は、その箱を蹴飛ばさないように、そして後ろの女性を振り落とさないように気を使いながら漕ぐ。時折、後ろを振り返り、なにやら女性と談笑する。僕の目の前を通り過ぎるとき
「去年もおととしも、チキン・クリスマスだね。」
「わたしは、ずっとこれがいい。」
という会話が聞こえた。
 そして、ギコギコ鳴らせながら、二人を乗せた自転車は遠ざかっていった。
 僕は、自分の立場との比較から二人をうらやましく感じ、そして二人の雰囲気を見て心が温かくなった。
 そのまま公衆電話に向かい、ふたりの女の子に懺悔した。実は、どちらとも気付いていたみたい。おまけに、そのふたりの女の子は、それぞれ僕以外の本命君もいたと判明した。
 ありゃりゃ。因果応報だね。
 ビター クリスマス。


綿栓

クイズ・この写真が何の写真か分かりますか?>皆様

 これは、『綿栓(めんせん)』という呼び名のもので、歯科治療をするときに使うもの。金属製の棒の先に、滅菌消毒した綿をまきつけているものです。歯の神経と取ったりした時に、その神経が入っていた管にこの綿に薬をつけて詰め込む。それを何度(数日~数週間)か繰り返して、歯の中や歯の根の先っぽを治して治療を進める。
 この治療をすると、1回につき100~200円程度の収入になる。これが高いのか安いのか…。
 まあ、とにかくそんな積み重ねで僕は生活する糧を得ているわけです。


携帯データ

古い携帯電話をどうしてる?
 使用中の携帯電話を紛失したときに、電話番号やメールアドレスのせめてものバックアップ用に保管している人って多いのでは?僕もその1人。さらに、どうも携帯電話の使い方が荒いようで、すぐに壊してしまうので仕事机の引き出しにゴロゴロ入っている。
 昨晩のことだ。その引き出しの中からメールの着信音が聞こえたような気がした。その着信音は、FM音源を使った自作のメロディーなので間違えようがない。現在使用している携帯電話の2つ前に使っていたものだ。少々のことでは動じなくなってきた僕は、「不思議なことがまた起きた」と引き出しを開け、携帯電話を取り出した。
 取り出された携帯は沈黙したままだ。そりゃそうだ、バッテリーの充電がされていない状態なんだから。しかし、着信音が聞こえたのは確かなような気がしたので、充電をして、メールボックスを開いてみた。
 メールボックスの中身に新着メールはなかった。
 「何かが起こる」と変な期待もあったので、ちょっとがっかりしたまま、その携帯電話をあれこれいじっていた。懐かしいメールや写真データを見つけると、なんだか心が軽くなるような気分を味わっていた。そして、この写真データを見つけた。前方の黒猫は、例の飼っているネコだ。問題は、ぼやけているけど後ろの女性。
 また一歩近づいたのかもしれない。
 その女性は、一緒に住んでいたはずの“サコ”ではないだろうか?


“白の世界”“赤の世界”

ゲーム好きで飛行機好き…それが高じて、自衛隊(空)で活躍している友人がいる。「その2つ以外のことはどうでもいい」と公言してはばからない彼は、こつこつと貯金をして、とうとう小さな飛行機を買った。車さえも持っていないのにね。
 彼から聞く空の話はおもしろい。例えば、自衛隊での演習には、急上昇と急降下を繰り返す訓練があるそうだ。音速を超えたスピードで真上や真下に向かうと過激な重力がかかって、脳内に送られる血液の量が身体の制御を振り切った状態になるとのこと。急上昇時は血液不足、急下降時は血液過多といったふうに。もちろん、そんな時にパニックにならないように、日頃から心身を鍛える地上訓練があるそうだけど、人の身体には限界があるから、目から見える計器類や外の光景に異変が起きるらしい。急上昇時は“白の世界”、急下降時は“赤の世界”といったふうに、すべてのものをサングラス越しに見ているようになると言ってた。“白の世界”“赤の世界”…彼らしい表現であり、ほんの一握りの人しか見ることの出来ない世界と触れている彼のことをいつもうらやましく思っている。

その彼から、昨晩遅くに電話があった。
「勘違いかもしれないけど…。」
そう前置きしてから、彼は一気にまくしたてるように話し始めた。
「今日の昼間、飛んできたんだけどさ。朝から、ちょっとだけ身体に違う信号を感じてはいたんだ。それは、耳がよく聞こえるというか…うまく言えないけど世の中の音がいつもと比べてクリアーな状態だったんだ。ただ、ほんの少しだけだったので、そんなに気にすることなく仕事に行って、演習を開始した。今日は、はじめて顔を合わせる新人が一緒だったんで、ちょっと喜ばせようと思って、いつもよりちょっとだけハードにアップダウンを繰り返していた。前に話した赤白の世界を楽しんでいたんだ。そして、最後の急降下の時に身体がロックされてしまったんだ。飛行機じゃなくて身体がね。そんなことはじめてだったし、意識ははっきりしているのでそりゃヤバいと思ったよ。金縛りってああいう状態なんだろうね。で、その飛行機には、安全でないレベルの軌道に入ると、危険度を知らせる点滅信号が順に光る仕組みになっていて、それらがどんどん点いてきた。そして、点滅するようになっている警告灯がすべて点いてしまい、俺はもうダメかもなと思い始めたんだ。だって、操縦桿を握っている手がロックされて動かないんだから。海の上を飛んでいたんだけど、海面がものすごいスピードで近づいてくるし。海鳥が一羽プカプカ浮いていて、ただならぬ気配を感じたんだろう。飛行機をというより、俺を見た。俺は、海鳥を殺すのは嫌だと強く思ったよ。同じ、空を飛ぶ仲間意識もあるしさ。すると、その瞬間に海にザザーッと割れたんだよ。映画の十戒の有名なシーンのように。わけわかんないよ、いまだに。とりあえずは、海面に打ちつけられることもなく、今度は海底に向かって一直線さ。相変わらず、警告灯は点きっぱしで警告ブザーも鳴りっぱなし。ただ、なるようになれって感じで、そのまま海底を見据えて行った。今度は、地底が割れるのかな~なんて呑気に考えながら。残念ながら地底は割れなかったけど、もっとすごいものを見た。海底に公園があったんだ。広い敷地に宮殿のような建物があって、その周りに噴水なんかが配置されたでかい公園があった。そこには、小さな赤ん坊から老人までいて、みんな穏やかな顔して思い思いに過ごしている。わけわかんないでしょ?俺もそうだよ。でも、本当に話だから、もう少し付き合ってくれ。その公園は、ベンチがいたるところに置かれていて、そのうちの一つに本を読んでいる女性が座っていた。膝の上に何か動くものがあったから、なんだろうと思って見てみるとあれは多分、お前の部屋のネコじゃないかと思ったんだ。なぜ、そう思ったかというと、あの趣味の悪い首輪をつけていたから。だって、お前のネコくらいじゃないか。20年くらい前のヘビメタギターリストが身に付けていたような錨付きの首輪をしているのは。とにかくヘビメタネコがいたんだよ、海の底に。そして、そのネコと目が合ったんだ。するとネコはちょっとだけ微笑んだような表情をして、女性が読んでいる本を1ページ分めくった。俺は確かにそうするのを見たし、めくってもらった女性はネコの頭をやさしく撫でた。そして、ネコは俺の方を見てウインクした。その瞬間、身体のロックが外れたんだ。もちろん、一気に操縦桿を引いたよ。急上昇開始さ。ネコにバイバイする余裕もなく。どう、この話信じる?」
 僕は、飼っていたネコがどこか別の世界へ行っていることは気付いていたということを伝え、その出入り口は多分キッチン脇の壁であることも彼に話した。
「そうか、多分そうだろうね。そうだよ。どこかに行っているんだよ。そして、俺は、そのどこかに通じてしまったんだよ。」
「会社じゃなくて…隊に戻ってからは大丈夫だったのか?」
「大丈夫じゃないよ。管制のレーダーからは消えていたらしいし、交信も短い間だけど途絶えたみたい。かといって、この話をしたら、病気扱いにされて空を飛ぶことが出来なくなるだろ。あれこれごたくを並べて謝ったから、今回は空を没収されなくてすみそうだ。」
「それはよかった。で、その新人は?」
「泡吹いて気絶してた。明日も早いんで、もう寝る。なんかすっきりした。俺が見たネコはやっぱりお前のところのネコだよ。そして、助けてくれたのもお前のところのネコだよ。今度、礼しないとね。最高級のネコ缶を買っていくよ。じゃあな。」
 彼は、言うこと言って、自分だけ納得して電話を切った。まあ、それはいつもことなので、気になりはしないけど。ネコ缶よりもカニかま好きだとメールで送っておこう。

 それにしてもやはり、僕の飼っているネコはどこか別の世界に行っている。そこは海の底なのだろうか。そして、本を読んでいた女性…。一体、誰なのか。そう考えていると、もしやと思うことが頭をよぎった。その女性は、『サコ』かもしれない。僕の前から、突然姿を消しただけでなく、僕の記憶からも消えてしまった女性。彼からの電話は、僕の疑問に対するヒントではあるけど、謎は一層強まった。
 ただ、楽しみは増えた。


アフロウィッグデザイナー

世の中には色々な職業があるけど、アフロパーマのウィッグ専門にしている人もいる。写真の最下段の男性がその本人。作り方は企業秘密ということで教えてくれないけど、彼の作ったアフロウィッグは巷に溢れているものとはちょっと違う。
 オーダーを受けると必ず依頼者と会って採寸する。計るポイントは、12カ所もあるそうだ。そして、出来上がるまでに約1ヶ月。出来上がると、また依頼者のもとへ行って微調整を行い、アフロウィッグを引き渡す。
「生活していくのがやっとですよ。」
苦笑まじりに言う彼は、とにかくアフロ職人として10年くらいその道で食べている。何故アフロウィッグを作ることを仕事にしたのか尋ねてみると
「他にいないから仕事を独占出来る→ウハウハなる…と思ったんですけどね~。」
と、本気なのか冗談なのか分からない答えが返ってきた。
 アフロ以外のウィッグは作らないのか?と聞くと
「アフロ一本です。まだまだ究めてないですし。」
と返ってくる。言っていることは変だけど、大まじめな顔してるか本気なのかもしれない。とりあえず、今後の目標を聞いてみよう。
「国民年金を払えるくらいの収入は欲しいです。」
…とのことです。


記録と記憶

カメラのシャッターを押すことは、『記録』。

 こころのシャッターを押すことは、『記憶』。

 ノルマは、それぞれ一日1回。

 ただそれだけのことだけど、自分のために大切な作業。


5秒前の世界に生きる

僕の小学生のときの不思議な体験を書く。
 とにかく授業を聞くのがつまらなくて、窓の外を見ているか、黒板の右斜め上にかかっていた時計を見て一日をやりすごしていた。小学校は、工業地帯のど真ん中にあって、窓の外から見えるのは工場の煙突群。今から30年くらい前のことだから、時代は“イケイケドンドン”。環境問題を語るなかれとそびえ建つ煙突からは、モクモクと煙が空に向かって伸びていた。
 実は、この煙をある程度なら操ることが出来た。どういうことかと言うと、心の中で「右へ」と強く念じれば煙は右にたなびき、「左へ」と念じれば左に向かっ た。そのうち、S字を描いたり、点線状に煙を分断したりと少し複雑なことも出来るようになった。ただ、特別な訓練を受けることなく出来るようになったことなので、僕は、他の誰も出来ることだと思っていた。だから、無邪気にそのことをある日の給食時間に周囲の友達に話した。もちろん、そんなことは誰も出来ない。そして、信じてもらえない。だから、僕は実演してみせた。右に左に煙を動かした。僕は一瞬にしてヒーローになった。担任の先生を含めてみんな僕のまわりに集まっていた。その興奮状態はクラス中を包み、昼休みを越え5時間目になっても収まることがなかった。すると担任が急に怒り出した。
「授業中は静かにしなさい。お前もみんなに迷惑をかけるような変なことをやめろ。」
 少なからず、僕はショックだった。昼休みまでは、担任さえも一緒に喜んでいたのに。急に怒られたこと、変なことと言われたこと…僕は自分が悪いことをしたとはどうしても思えなかった。だけど、先生に怒られた。どうして怒られたのか?いくら考えても分からなかった。それは、級友たちも同じ思いだったのだろう。担任がちょっと注意したくらいでは、ヒートアップした教室の状態はいつものようにならなかった。そして、担任は一番騒いでいた友達を平手で叩いた。ややヒットしなかった平手打ち特有の鈍い音とともに、教室の中は音一つなくなった。担任は、その静かになった教室の中で、再開した。
 もちろん僕は煙突の煙を操ることを中断した。ただ、頭の中はあることで一杯だった。
「ここから、この時間から逃げ出したい。」
 そのことだけが頭の中をぐるぐる周り続け、そしてもう一つの過ごし方である時計をじっと見つめていた。すると、また不思議なことが起きた。
 秒針が5秒分戻ったのだ。それだけでなく、担任が5秒前に発した言葉をもう一度言ったのだ。「これ大事だぞ。」と。
 このことをみんなに確かめるべきか否か…当時の僕は、僕なりにすごく考えた。その結果、誰にも言わないことにした。また怒られるかもしれないから。

 そして、それから30年近くたって今の僕がいる。あれは何だったのだろう。確かに言えることは、起きたことが真実だということ。とすれば、今の僕は、もともと5秒先を生きていた存在だったのだ。だからと言って、特に不都合なこともこれまでは経験しなかったし、多分これからもそうだろう。
 だけど、何かのきっかけで、ある瞬間に元の世界…5秒先の世界に戻されるかもしれない。もしもそうなるのだった、たった5秒だけど、僕には空白の5秒が出来るわけだ。時間は、平等ではない。失えば、取り返しのつかない5秒間というのもあるはずだ。出来れば今の僕が生活しているこの時間軸のまま、僕は僕であり続けたい。だから、僕はその瞬間瞬間を楽しんだり、悲しんだりする中でそれらを受け入れることだけは忘れないようにしている。間違っても
「ここから逃げ出したい」
と念じないようにしている。


背中は口ほど物を言う


身体のパーツのどこに惹かれますか?
 僕は『肩』。肩の丸みに惹かれる。強烈なフェチズムを感じて性的に興奮するのではなく、ふんわりとした安心感に包まれるような魅力を『肩』に感じる。何故なのかな~。

 そんな話はともかく、昨日、同業者でもあるプロフォトグラファーの女性がふらりとスタジオにやってきて、こう言った。
「今のわたしは空っぽ。ニュートラルの状態での空っぽじゃなく、忙しすぎて空っぽ。」
 確かに彼女は、仕事も私生活も周囲が心配するほどギチギチに詰まった毎日を送っている。
「“やりたい”から始めたことばかりのはずなんだけど、いつの間にか“やらされている”ような気がしながらやっているのよね、あらゆることを。」
 僕は彼女の言っていることに対して返答に窮し、きっと困ったような顔をしていたと思う。
「ごめんなさい。そんな顔させるために来たつもりはないの。ちょっとお願いがあって。」
 そして、彼女は持ち歩いているデジタルカメラを僕に差し出しこう言った。
「1枚だけ撮って。お昼ごはんをご馳走するから。」
 いいよと返事すると、彼女はくるりと背中を向けた。無造作に洋服を脱ぎ、ブラジャーを外し、丁寧にそれぞれをたたんでソファーの脇に置く。
 僕はあっけにとられると同時に見ていいものかどうかを視線を下に向けつつ考えていた。
「変な気をおこさないでよ。背中の写真を1枚だけ撮ってほしいの。『背中は口ほど物を言う』とかなんとかいう格言じみたものがあるでしょ?だけど、自分自身の背中をじっくり見ることは出来ないから、お願いしたいの。」
 分かったような分からないような気分のまま、簡単に照明をセットしてシャッターを押した。
「プリントする?」
「ありがとう。お願いする。昼食にコーヒーつけるね。」
 こういう時の僕はとんでもなくダメ人間になるようで、力無い薄笑いを浮かべたままパソコンデスクの方へ向かった。画像データを取り込み、A4サイズにプリントする。
「振り向いてもいい?」
「いいよ。」
 彼女はすでに洋服を着終わっていた。彼女が座っている場所に戻り、この写真を渡した。彼女は、にっこり笑って、大事そうにクリアファイルに挟んでバッグにおさめた。
「やっぱり、空っぽだわ。空っぽ。気持ち悪い空っぽ。今の私のテーマは、気持ちいい空っぽの自分にすること。スッカラカンになってから、またスタートするの。」
 そして、彼女は明日からしばらくスリランカに行くことを僕に告げた。
「なぜ、スリランカ?」
「“スッカラカン”と“スリランカ”…なんとなく似てるでしょ。」
 まあ、彼女らしい選択かもしれない。ダジャレにもならない面白くないネタだけど。
「とりあえず、1ヶ月くらいは滞在すると思うの。帰ってきたら、また写真を撮ってね。」
「はいはい、了解。」
「“はい”は1回でよろしい。では、ランチをご一緒していただけますか?」
「よろこんで。」


イージー・ゴーイング~頑張りたくないあなたへ/山川健一著

世の中の音が消えるくらい夢中になってカチャカチャやってると、いつのまにか6面がそろったルービックキューブ。そんな気分にさせられた1冊。
 
(今回は“妄想ブログ”じゃありません。まじめに?“書評”でございます~照)

「楽観的でいいね。」
「いつも前向きだね。」
「毎日がおもしろそうだね。」
そんなふうによく言われる。福岡県下をカバーするステーションでラジオ番組やったり、思い立ったようにすべて借金で歯科クリニックを開業したり、時々活字となった文章がどこかに掲載されたりとローカルレベルではあるけど傍目にはおもしろそうな日常を送っているように見えるのだろう。また、それゆえにそんな風に思われるのだろう。
 だけど、実際の僕は、『得体の知れない不安感』と毎日戦っている。その原因は分かっている。結局、不安にさせているのは“自分”なのだ。自分(自己)を認識するために、一番分かりやすい指標は、周囲からの評価だったりするわけで、その評価をよりよくしたいがために自分の行動を自分でコントロールしている。その一方で、何者にもコントロールされたくない自分がいるので、そのコントロールから逃れたいといつももがいている。まあ、日々そんな自分たちの戦いの繰り返しなわけ。
 この本は、そんな僕をやさしく導いてくれそうだ。
『頑張れ』よりも『無理しないでね』
山川氏は冒頭から語りかけてくれているから。

 こんなことばかり言っているから、誤解を受けるんだと思うけど、僕は30%の力で毎日を過ごすようにしている。僕は頑張ることが嫌いだから。“根性”や“汗”という言葉も嫌い。“根性”や“汗”で頑張らなくても、前進は出来ると思っているし。
 それは、自分のスピードを見つけること。ただし、自分の能力は上げていくこと。
 自分の能力を上げていくことによって同じ30%でも違うパワーを持つことが出来るし、30%の力でも充分に自分の能力を高めていくことが出来る。そういうことを言いたかったのだけど、「30%の力で毎日を過ごしている」と周囲に漏らすと、イコール怠惰な生活に終始しているととられてしまうみたい。車に例えると、パワー不足の車のアクセルを踏み込んでだした150キロと、強烈なパワーを秘めた車のアクセルを軽く踏んでの150キロは同じようで全く違う。パワー不足の車はすぐに壊れてしまうと思う。さらに、その気になって踏み込んだ後者の車は、あっという間にパワー不足の車を引き離してしまうだろう。自分のポテンシャルは研ぎ澄ますようにあげておく準備はしておくけど、それを誇示することなく、毎日をたんたんと過ごしていきたいということ。簡単なようで難しいけど。

 「頑ばらないこともクールだよ。」と、全編に渡って言われているような気がした。そう、なんかこの本は、“言われている”ように語りかけてくる。説教くさくなく。すらすら読めて、読後に整理された自分がいるというか…。
 迷っている人、困っている人、悲しんでいる人…僕のまわりにもいっぱいいる。読むことを勧めてみよう。分かりやすく元気になれる本だから。
 
『イージー・ゴーイング』 
頑張りたくないあなたへ
◆目次

はじめに イルカのように泳ぐことができないあなたへ

第一章 ありのままの自分を知るには、どうすればいいの?

○イージー・ゴーイング
○好きなものをノートに書いてみよう
○部屋に置かれた物はすべて魂をもっている
○まず、弱い自分を認めることが大切だ
○その弱さは具体的にどういう性質のものか考えてみる
○小さな頃のことをきちんと思い出そう
○過去を変えることだって不可能ではないんだ
○今までの人生の中で良かった時、悪かった時の自分を研究しよう
○あなたのテーマソング、ぼくの「にゃんちゃん」
○あなた自身があなたを許してあげればいいんだよ


第二章 悲しみ上手になる方法

○好きな曲をひとつ見つけられると、1カ月は元気でいられる
○悲しむことの大切さについて考えようね
○上手に「あきらめる」ことも大事だよ
○右の天使と左の天使
○孤独力に磨きをかけること
○ネガティヴ・シンキングの効用
○頑張ってるのにうまくいかないのはどうして?
○眠れないことを気にしちゃダメだよ
○お風呂場で泣く女
○年をとることを怖がらないでね
○「成功」という名の呪文に騙されちゃいけないよ


第三章 愛されたいと願うあなたへ

○愛されていないのではないかという怖れ
○傷つくのは悪いことじゃないよ
○家族は社会からあなたを守ってくれるシェルターだ
○ぼくらが母親と父親から学ばなければならないもの
○「共依存」のスパイラルを断ち切るために
○「ボーダー」の男女がもつ華やかさと脆さ
○フェアな自己主張、アンフェアな自己主張
○パニック症候群は長くは続かない


第四章 幸福のタネを育てよう

○「私なんて」「もっと○○○なら」なんて言っちゃダメだよ
○あなたの中にも幸福の可能性が眠ってる
○幸福はお金のように貯め込んだり保険をかけたりすることができない
○たとえば記憶力の不思議さを知ることから広がる世界
○右の天使と左の天使の話
○神様のいない僕たち/片岡義男氏とコーヒーを飲んだ午後
○動物達とのふれ合いのなかから
○「イージー・ゴーイング」の王様、ライオン
○あなたはライオン型かトラ型か?


第五章 夢と生き方のスタイル

○現実六割、夢四割と考えよう
○生き方のスタイルをきめて美しく生きていくこと
○光があたったコップのこちら側
○「○○しなくちゃ」からは何も生まれない
○立身出世におさらばしよう
○仕事をする上で大切な最初のこと
○たとえばあなたが編集者だったとしよう
○日本人としてのスタイル(引き算の生き方)
○想いはどこにいくのか
○言霊の力が夢を叶えてくれる

 あとがき 

おまけ1/僕が、ラジオで紹介しているクラブミュージックの世界は、無数とも思えるほどのインディーズレーベルが存在する。そして、そのレーベルごとに方向性がはっきりしている。だから“レーベル買い”といってアーティストの名前ではなくて、レーベルの名前でレコードを買うことが珍しくない。そういった意味で、著者の山川氏がたちあげた【アメーバブックス】が、“レーベル買い”出来るような出版社になるといいなと思う。

おまけ2/僕は、『1年に1つは満足出来る発表』を目標にしている。昨年、宝島社の“僕たちの好きな村上龍”に文章が掲載されて以来、満足出来る発表が行えてなかった。「今年はこのまま終わりかな」と思っていたところに、この書評企画があり応募。そして昨日、とても勇気の出るメッセージをアメーバブックス編集部の方よりいただき、長々とした文章をアップした。もちろん、これは『満足出来る発表』なので、今年はこれにてOK(笑)。来年もなにか発表するぜぃ!


パープルリバー

「ここを買いませんか?一棟全部。」
 昨日、仕事の打ち合わせの後入ったホテルのバーカウンターで言われて差し出された1枚の写真。なんとも不思議な話だった。

 僕は、上々の打ち合わせが終わり、なんとなくそのまま帰る気にもなれず、そのまま同じホテルの地下にあるバーに入った。平日の遅い時間ということもあってか、客は僕と初老の紳士の二人だけだった。上質なツィードのジャケットをさりげなく着こなしたノーネクタイのその男性は、カウンターストゥールをひとつ隔てて座っていた僕に話しかけてくれた。
「失礼ですが、油絵をされているのですか?」
 僕は、趣味と言うのも恥ずかしい程度に絵を描いている。それは、自分自身をリセットしたいときに描く程度のもので、同軸に料理を作ったり、ミックステープを作ったり、外をジョギングしたりと色々あるものの一つだ。油絵の具の匂いが好きで絵を始めたくらいで、絵に関するセンスも知識もない。ただ、その匂いが好きだからクローゼットの中に絵御を描く道具を置いている。だから、僕の洋服は一種独特の匂いがするらしい。その匂いに彼は反応したんだと教えてくれた。
「描いてますが、描いていると言うにはあまりに恥ずかしい絵です。」
「それはどうして?あなたはとても良い雰囲気を持っていらっしゃる。きっと繊細で美しい絵を描くと思うのですが。」
 上々の打ち合わせと、ほどよくジンの入ったジンバックのおかげで少々饒舌になっていた僕は、匂いの秘密について話した。
「そうですか。好きな香りに囲まれているわけですね。私も以前、少々絵を描いていたのですが、もうこの通り老いぼれでして、小さくて汚い画廊を経営しているような状況です。」
 画廊を持つことは、僕の中で少なからず目標にしているところがあって、その話を詳しく聞かせてもらうことをお願いした。
「いえいえ、そんなたいそうな画廊ではないですよ。画廊というよりは、貸しアトリエみたいなものですし。それに私がはじめたのではなく、亡くなった私の妻がはじめたものです。それに法律なんかが微妙に絡む土地に建っているものですから、改装や立て替えが出来ずにオンボロ中のオンボロです。この場所はご存じですか?」
 そう言って、その紳士は僕に1枚の写真を差し出した。その場所は、あまりに有名な場所だ。小倉にある川の上に建つ集合住宅形式のアトリエだ。年に一度、入居しているアーティストの共同展があって、それに毎年行っている。行ってみて気付くのだが、年に2,3組ほどのアーティストが入れ替わっていて、さらにそのほとんどが美術雑誌を購読していれば、必ず目にする“注目株”たちばかりだ。
「知ってます。知ってるどころか憧れの場所です。僕が聞いている話では、全18室。中は15畳程度のスペースがあって、常に満室状態の貸しアトリエ。実は、そこに入りたくて、色々な不動産屋に聞いてまわったこともあるんです。ところが、どうも賃貸情報の中には出てこない。出てこないどころか連絡先も分からない。そのアトリエに入っているアーティストの方に聞いたこともあるんですよ。」
「そうですか。それでなんとおっしゃってましたか?」
「それが、どうもピンとこない答なんです。ある日突然、小包が届くそうです。中身は、『入居募集』と描かれた1枚の手紙と、古い鍵が一本だけ。」
 その紳士は、ニコニコしながら聞いている。今夜の僕は、いつになくよく話す。内心、そのアトリエに入れるかも…という期待があったから。
「そして、そこの場所を訪れると、すでにその人の名前が書かれたネームプレートが扉にかかっていて、部屋の中の大きな作業机に1枚の紙があるそうです。」
「ほうほう。」
「その紙には、こう書かれていると聞きました。『退去日時は自由です。退去するときは、窓際にあるボタンを押してください。ただし、一度押すとここには戻って来ることは出来ません。では、心ゆくまで。』と。」
「ほうほう。」
「そのボタンを押すと、川の中に仕掛けられた無数の電球が一晩だけ点滅するそうです。それも部屋毎に点滅パターンが決まっているみたいで、点滅が始まると入居者全員が集まってビールとつまみを持ち寄って対岸で見学するのが慣習化しているとも言ってました。そして、1人アーティストが退去するといつのまにか別のアーティストがやってくる。つまり、入居者は出ていくときの仕組みは知っているけど、入るときの仕組みは分からないと言ってました。」
 僕が話し終わると彼は、僕と同じものをとバーテンダーに注文しこう言った。
「概ね、そういうことでしょうな。実は、持ち主の私にも詳細は分かっていないのです。さきほども言いましたように、妻の持ち物であり、妻がはじめたものですから。妻が他界してからは、私ではなく私の1人息子がやってましたし。実は、その息子も先立ちましたね。1週間前に急に亡くなりました。もともと、人付き合いが得意なほうでもない私はこれで完全に1人になりました。いえいえ、そのこと自体は悲しくありません。逆にやっとカルマが落ちたような気分です。さきほどあなたがおっしゃった“リセット”という状態と申したらよろしいのでしょうか。私1人が生活していくくらいの蓄えもありますから、これからは本当に呑気に暮らしていけるというものです。ただ、気になるのはあの場所の行く末だけです。あそこだけは、私がいなくなっても残っていて欲しいのです。あそこはもともと私の妻の祖父の持ち物で、それを維持しておかないと私があの世に行ったとき、妻やその家族から怒られてしまうでしょうからね。」
 そう言ってほがらかに笑い、ジンバックを一口飲んだ。
「とても魅力的な話ですが、僕に購入する資金があると思えません。知り合いの不動産屋を紹介しましょうか?それと、出来れば僕に入居するチャンスをもらえませんか?」
「いえいえ、あそこに入居する選考は私がやっているわけではないのです。ここだけの話、その選考はイタリアに住むある著名なキュレーターがやっているのです。この方も、妻の古くからの友人で、僕はお話さえしたことありません。イタリアの言葉を話せるわけでもありませんしね。それに、あそこは値段がないのです。」
「え?」
「川の上でしょう、あのアトリエは。川の中から柱を建てて、そこに長屋を作っている。まあ、違法と言えば違法ですな。戦後のどさくさにまぎれて作ってしまったらしいのです。何度となく立ち退き話はありましたが、それなりに有名な場所になったし、誰に迷惑かけているわけでもないので、最近ではもう黙認されています。ただし、家賃収入はありません。だって、違法なんですから、建物自体が。そんなところで商売するとお上も黙っていないでしょうね。考え方としては、川の上に芸術家の人たちが夜な夜な集っているといった認識の上に成り立っている場所なんです。」
「屋台みたいですね。そんなことが許されるのですね、びっくりです。」
「そうそうない話でしょうな。まあ、だけどそんなところです。しかし、誰か管理者はいるわけです。法律上、所有してはいけないけど管理してくれということみたいです。というわけで、お金は一切かかりません。よければ連絡ください。」
 その紳士は、名前を電話番号だけが記された名刺を僕にくれた。そして、トイレに行くと退席したまま、帰ってくることはなかった。飲んだフィーを払った様子もなかったが、僕の分まで払って帰ったようだ。帰り際、僕はバーテンダーに尋ねてみた。
「お聞きになられたと思いますが、どう思われますか?」
 バーテンダーはこう言った。
「楽しそうにお話されてましたね。」
それだけを言うと、小さく頷いた。


サンライズ リゾート

ここは僕のお気に入りの場所だ。  
バブルの遺産とでも言っていいのか、管理会社が倒産した県境にあるリゾートマンション。彼女が生まれた年に、彼女の祖父が彼女のために購入したもの。部屋は、40平米ほどの広さの2DK。比較的大きなベッドルームに小さな和室、そして簡単なキッチンに遠慮がちなユニットバスという、どこの街にもあるような賃貸マンションのようなつくりをしている。どんなに贔屓目に見ても“豪華”とはいえないこのリゾートマンションの購入費用が、当時4500万円だったいうからバブルという時代の怪物加減が分かるよね。
質素な内装に比べて、外装や建物自体の装備品はゴテゴテしている。門柱からエントランスに続く道は、こ洒落た石畳風でありその脇には人工の河が流れる。自動ドアの両脇は龍神が配置され、そこを入ると目の前にグランドピアノが置かれている。1Fは、もともとロビー階で、薄暗い蛍光灯だけがともり、倒産によってスタッフのいないカウンター、電気の通っていない自動販売機、商品が並んでいないおみやげコーナーなど、薄気味悪いことこの上ない状態だ。
祖父が孫のためにリゾートマンションを購入するくらいだから、彼女の生家はそれなりに資産家なのだろう。“だろう”と言うしかないほど、彼女に付随するものの情報を僕はあまりに持ち合わせていない。それは僕にとっても興味ないことであり、彼女にとってもそうであるようで、彼女のほんの少しの過去とそれから以後彼女自身が自分の手で手に入れたものしか知らない。
彼女の祖父は、数年前に亡くなっている。その遺産相続が大変だったらしい。親族が骨肉を削る争いの中、彼女は家を離れている。無駄な時間、無駄な争いからフェードアウトするように。文字通り、身一つでスタートした彼女に与えられたのは、この朽ち果てそうなリゾートマンションと大きめの旅行鞄2つ分の荷物。
彼女は現在、農業に従事している。それまでの職業は、ブライダルプランナーだったらしい。その転身に彼女は満足しているようで、家を離れるまでの彼女の口癖だった
「つまんない。」
を聞くことがなくなった。そして来年、念願の自分の畑を持つことが出来るそうだ。借地ではあるが、3ヘクタール分の土地で自分の思い描くスペースを作っていくとのこと。その彼女と久しぶりに来たこの場所で撮らずにはいられなかった写真がこの1枚。秋も終わろうとしているこの時期に何故、彼女は水着を着ているのか?そう思わない?
彼女の収入は驚くほど少ない。持ち物自体、例の旅行鞄に入れてきたものからほとんど増えていないらしい。贅沢と言えば好きな本を月に数冊買うことくらいで、あとは生活というよりは生きていくために必要なものを買うのが精一杯だと笑いながら教えてくれたことがある。下着類も家を出て以来買っていないらしく、鞄につめてきたものを大事に大事に使ってきた。体型を変えるとアウトなので大変なのよと言っていたな。そんな下着たちも、だんだん使用に耐えられなくなりここ半年は1セットを毎晩洗濯しながらつけていたらしい。ところが、昨晩は深くにも干す前に眠ってしまったらしく、下着代わりに水着着用となったのこと。
「あなたに会うのに、汚れた下着じゃイヤだったから。」
少しだけおどけた表情でそう言われた僕は、嬉しくなってカメラを構えた。
ちょっとだけ怒った彼女が見えた。


深淵なる世界への入り口

『一日のはじまり』で書いたネコのことなんだけど、どうも僕らが住んでいる世界とは違う世界への入り口を見つけたみたいなんだ。その入り口は、キッチンの一角にある壁じゃないかなと思っている。エサを入れた容器を置いている場所から50センチくらいの距離の場所。 
なぜ、そんなことを思うようになったかというと、彼がいなくなってから、その壁のある一部分だけが色が変わってきているんだ。 
3年ほど前、突然大きな絵を描きたくなったことがあった。もともと趣味程度に絵を描いていたので、アクリル絵の具はあった。ところが大きなキャンパスがない。そこで、大家さんには悪いなと思いつつ、キャンパス代わりにしたのがその壁なんだ。描いたのは、『黒猫』。そう彼をモチーフにしたものだった。 
黒バックに黒猫を描くということは、大量の黒い絵の具がいる。絵を描くとき、黒と白をよく使うので、他の色よりも多く買い置きしていたけど、畳1畳分くらいの壁を塗るほどの量はもちろん持ち合わせてなかった。そこで、小さなバケツの中に白以外の絵の具を全部ぶちまけて、ぐりぐりに混ぜ合わせてみた。
狙いは予想以上の結果となった。黒に見えるけど黒とは違う、なんとも言えない深い深い色が生まれた。そして、僕はまず壁にこう描いたんだ。
“深淵なる世界への入り口”
その文字をしばらく眺めた後、まずは壁一面を丁寧に塗り込み、その後、白色を用いて黒猫の輪郭を描く。それを何度も繰り返した後に完成したのが今日の写真の絵。ほとんどが黒で占められていて、見る人にとっては気持ち悪い絵かもしれない。彼にとっても、はじめはそうだったみたい。その壁に対して、威嚇してみたり爪をたててみたり…。だけど、そのうちお気に入りの場所になったようで、ゆっくりするときは決まってその場所に腰を下ろしていた。
僕にとっても、その絵はいまだにお気に入りで、その絵と別れるのが惜しいこともここを引っ越さない理由、それも大きな理由の一つなんだ。そして、その絵の麓あたりの色がぼんやり円形に変わってきた。同じように黒なんだけど、なんだか吸い込まれるような色に変わってきた。もちろん、その部分を触っても何も起こりはしない。だけど、見れば見るほど確信へと僕の心が揺さぶられる。
深く深く繋がっている。
どこか、僕が知らない世界へと繋がったのだろうか?
彼は、その世界の住人になったのだろうか?
そこはどんな世界なのだろうか?
何か分かったら連絡するね。


3人模様

僕は1歳になったばかり。
お父さんとお母さんはとても仲良し。
最近、歯が生えてきたんだよ。下の歯から。
だから、歯ぐきがちょっと痒い。
今の悩みはそれくらいかな。

俺は、30歳。
妻と息子と楽しくやってる。
息子は、“たかい・たかい”が好き。
だから、毎日、10回ワンセットで3回はしてる。
息子の笑顔は、心のビタミン。

わたしは、24歳。
夫と息子は宝物です。
この写真を撮ったとき、息子がおならした。
バフッ!バフッ!ビッ!
くさいくさい。
だけど、それも含めて幸せです。


サコ

夜明け時は、ほとんど毎日起きている。そんな時間に何をしているかというと、“5キロのジョギング→シャワー→部屋の整理→読書”の繰り返し。毎日、毎日、休みなく続く習慣。
前の晩から眠らずに起きていることも早起きして起きていることも両方ある。「いつからの習慣だろうか?」とふと思い、あれこれ思いめぐらせてみたけど、どうにも思い出せない。確かなのは、好きで好きでたまらない女性がある日突然、僕の前から姿を消したことが原因だった。一緒に住んでいたはず…なのに。“はず”と言うしかないのは、記憶があいまいだから。人は限界を超えたショックを与えられると自己防衛のために、一時期の記憶をなくしてしまうなんていうことをよく聞くけど、まさにその状態なのだ。一緒に住んでいたはずというのは、僕の部屋に彼女の持ち物が沢山残っていたから、そう思っているだけなのだ。しかし、その持ち物の中には、彼女の生い立ちを推測できるものは何も残っていない。唯一、彼女自身かもしれないと想像出来るものは、玄関に飾られた小さなアクリル画で、右下に小さく「sako」とサインされている。“サコ”なのか“サエコ”なのか“サヨコ”なのか“ミサコ”なのか、全く違う名前なのか…。
とにかく、僕はいまだに毎日違う夜明け時を毎日同じように過ごしている。


誰だ/電気グルーブ

ヌハハ
トホホ

パパラッチには気を付けろ~


一日のはじまり

突然いなくなったんだ。
彼女の手からスルリとすべり落ちて、キッチンへ向かいそのままいなくなった。
いなくなる30秒前の写真がコレ。
だけど、彼は消えてしまったわけではないようだ。
一日に一度、それも僕が眠っている間に食事と水をとりに来ているみたい。
だから、僕はたんたんと彼のために食事と水を用意して、冷蔵庫の横に置いておく。
呼んでも叫んでも今は僕の前に姿を見せてはくれない。
だけど、朝起きて、空になった食器を見ると不思議と安心する。
そこから一日がスタートする。


ネクタイ ノーネクタイ

はじめてネクタイをしたのは、大学の入学式のとき。
なんだか、くすぐったい気持ちで嬉しかったのを覚えている。
現在、ネクタイをする必要のない仕事をしているので、ネクタイをするのは年に数度。友人の結婚式のときくらいのものか。ネクタイというのは、なにかのアイコンなんだろうな。マナー、倫理、社会性…。
実は、最近、結婚式のときですらネクタイをしていくのが億劫になってきた。ネクタイをすることによって、大事なものを失うような気がするんだ。
「そんなちっぽけなことを…」
そう思うだろう。10代のころは、ただやみくもに“自信”があった時期ってなかった?それも“根拠”のない強い“自信”。それがいつしか消えてなくなってしまい、イヤだイヤだと思いながら、毎日を過ごしている…そんなことってない?
別にネクタイを外したからといって、あの頃の自信が呼び戻せるなんて思ってない。だけど、ネクタイくらい外したっていいじゃないかと思うだけ。そんなことで、判断される社会に住んでいるのが窮屈なんだ。


現世は三次元

この写真を見て、「横から危険が迫っている」と思うよね。それは、2次元を3次元に頭で変換できている証拠。
では、打ち上げ花火を思い浮かべてみて。花火は、濡れた紙の上の絵の具が同心円状に拡がるように丸く形をなしていく。僕が住んでいるアパートは、夏祭りの花火大会を観覧するには最高の場所。2年前、ベランダからその花火大会を楽しんでいる時、不思議な違和感を感じたんだ。
「花火って、二次元的に拡がるのではなくて、三次元的に拡がっているのでは?」
つまり、ボールが膨張するように拡がっているはずだと感じて、それが違和感として僕を捉えたんだろうね。それで、瞬きせずにじっと花火を凝視すると、やはりそうらしい。だって、花火の中心に近い部分は僕に迫ってくるように見えたから。ということは、横から見ても上から見ても丸い打ち上げ花火が見られるということだよね。このことって、みんな知っているのかな?僕としては、かなり大きな発見だったんだけど(笑)。
というわけで、いつか花火を上から…空から見てみたい。
そう思わない?


平和万歳と戦争反対

『平和でいこう』と『戦争反対』…同じようで微妙に違う。後者は、それ自体が“戦う姿勢”を感じてしまう。だから前者の立場で生活している、していたい。ひとりぼっちでは生きていけないから、結構難しいけどね。
ピース。


リサイクルショップ 【コスモス】

リサイクルショップを見つけると、とりあえず入る。
最近のリサイクルショップは、こぎれいなところが多いよね。以前は、「どこで拾ってきたんだろう?」という品物ばかりが雑然と店内に置いているようなお店ばかりだったのにね。どちらが好きかというと、どちらも好きです(笑)。だから、とりあえず入る。つい先日も行き先も決めずにブラブラと実家の周りを歩いていると、自宅の倉庫をそのままリサイクルショップにしている場所にたどり着いた。実家は、周囲が田んぼだらけの田舎町で、そんな場所にあるリサイクルショップってなんだかワクワクするよね。
お店の中に入ると、おばあちゃんが毛糸を紡ぎながら店番をしていた。「こんにちわ」と挨拶したら、にっこり微笑んで「よくいらっしゃいました。なんもないけど、色々と手にとってみてください。」とだけ言って、作業にもどった。商品は、どれも古いもの…時代を感じさせられるものばかりで、個人的にはとても好きなテイストのものばかり。そして、すべてのものが「大事に扱われてきたんだな」と分かるような味わい深い雰囲気のものばかり。傷だらけで、時には修理や補修が施されたものもあるけど、すべての商品がきちんと機能するし、きれいに磨きあげられている。僕は、ブリキの車を購入した。代金を受け取り、おばあちゃんはこう言った。
「ありがとさん。この車は、私の孫に買ってあげたんだよ。40年も前になるかいな。立派な男になって、3人も子どもをこさえよった。遠くにいるから、なかなか会えないけど、お正月には帰ってきてくれると思う。楽しみじゃよ。楽しみ。はい、おおきに。」
その車には、小さな字で名前が刻まれている。きっと、おばあちゃんの息子の名前なんだろう。
「わたしもじいさんが亡くなって3年が過ぎてね。ただ、なんとなく毎日を過ごすのももったいないなといつもいつも思っていたんだよ。先月、88歳になってね、なにか新しいことを始めようと思いついてね。それで、このお店を始めたんだよ。」
「どうして、リサイクルショップなんですか?」
「88年も生きているとね、たくさんのものごとがるもんなんだよ。嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、苦しいこと。そのひとつひとつが「思い出」っていうもんなんだろうけど、どうも整理してみたくなったみたい。だから、家の中のものをココに並べては、いあれこれ思い出しているんだよ。」
「売ってしまっていいの?」
「それぞれが大切なものだけど、冥土には持って行けないでしょ。「思い出」は持っていけるかもしれないからね。一つでも多く思い出して、整理しておきたいんだよ。」
 ふらっと入ったお店だけど、ちょっとファンになったかも。
「また、来るね。」
「はいはい、お持ちしてますよ。」
来週、また行く予定


素晴らしく感動した日本語2

素晴らしく感動した日本語2

(1つ下からお読みください)

うんちをすると必ず股間から確認する我が子。
「パパ、うんちがお月様になっとる。」
そこには、途切れることなく出された立派なうんちが便器の中を泳いでいた。


素晴らしく感動した日本語

スポンジが水を吸収するように言葉を覚える我が子。
今年の夏に夜空を見上げてこう言った。
「パパ!お月様がスイカになっとる」
彼の視線の先には、まぶしいくらいの立派な半月があった。


真夏のサファリ

この写真は、僕が小さな頃、はじめて自動車が我が家にやってきた時のもの。
ミニカー漬けの毎日で、ミニカーを収納する立体駐車場のおもちゃをどれほど欲しかったことか!(買ってもらえなかったけどね)そんなガキンチョが本物の車を目の前にした時の感動や驚きは今でも覚えている。助手席に座るのが大好きで、ハンドルを握る真似をして、進行方向どおりにハンドルを切ることを延々とやっていた。
はじめての遠出は、別府にあるサファリパークだったことも覚えている。真夏に行ったんだけど、この車にはエアコンなんぞいう高級なものは付いていない。サファリパークという場所は窓を開けると危険なので、当然閉めきったまま車を進ませることになった。真夏のサファリを密閉された車で移動するとどうなるか…。サウナ状態なんていう生やさしいものではない。まさしく地獄だ(笑)。それを見越してかどうか、サファリパークのゲートに入る前に、『冷凍みかん』を売っていて、ほとんどの車がそれを買っていた。我が家も理由も分からず買った。しかし、これが命綱だったんだよね。高温の車内の中で、冷凍みかんをおでこや手足に当ててつつ、サファリ観賞…これ鉄則(笑)。命からがらサファリを出た後は、窓全開→さわやかな風に深呼吸!
『はじめて話』は、けっこうおもしろいネタを持ってるはず。教えてくれないか?


こども相撲とその景品

昨日、山口県に山の中にある神社のお祭りに行ってきた。
そこはテレビに出るような大きな神社ではないけど、“気”に流れが素晴らしく気持ちよい場所で、とてもリラックス出来る。
「おらが町のお祭り」っていう感じで、とてもアットホームな雰囲気の中、地元の人が沢山訪れる…そんなお祭り。子どもたちも連れて行ったんだけど、目的は2つ。ひとつは、地元のおばちゃんたちが作る焼き鳥、おにぎり、たこ焼きとお相撲さんが作るちゃんこ鍋を間食すること。もうひとつは、子どもを“子ども相撲”にデビューさせること。もちろん、達成したけどね。
そして、写真のおもちゃは子ども相撲の参加賞。レトロな町のレトロなお祭りにふさわしい景品だよね(笑)。地元のじっちゃんたちが子どもたちに喜んでもらおうと一生懸命選んだんだろうな。ジーンときたよ。
60円と書かれているけど、僕のお小遣いのスタート金額は、一ヶ月300円だった。小学3年生くらいからだっと思うけど、それから毎月10円アップ。500円や600円という区切りを迎えたときは、大人になったような気がしたもんだ。


始まりか?終わりか?微妙な瞬間

15年くらい前の話になるけど、ある写真家(T氏)と会うことになった。当時の僕は、FMのオーディションに合格したばかりで、まだ番組は持っていない頃。歯医者になるための大学にも行っていて、ラジオの仕事はしたいけど両立できるかどうか悩んでいた。T氏は、これぞアーティスト!という空気感の人で、今でも僕にとって憧れの存在でもある。
T氏は1枚の写真を出した。
「僕はもともと会社員をしていたんだけど、この写真を撮った時に“写真で生活できる”と確信して、この道に入ったんだよ。」
その写真は、スケートボードを持った少年を横から写したものだった。どこをどのように見たら、その写真から大きな決心が出来るのか分からなかった僕は長い間沈黙しているしかなかった。するとT氏はやさしく笑いながら、こう言った。
「この写真の少年は、“これから歩き出す”のか“歩くのをやめる”のか分からないよね。その微妙な瞬間を捉えることが出来たから決心できたんだ。」
その写真を再度よく見てみると、少年の片足は地面から離れている。確かに離れていて、歩き始めるのか立ち止まるのか判断出来ないシーンだけど…なぜ、その写真によって人生を変える決心が出来たのか分からなかったし、正直なところ今でも分かっていない。
「僕の場合は、この写真がそうだったんだけど、君にもそのうち進むべく道を決定づける何かが目の前に現れる時がくるはず。だから、それまではおおいに悩み、考え、もがくことも大事なんだよ。」

あれから15年くらいがたつけど、いまだにその写真の持っていたパワーは理解出来ていないし、僕の進路を決定づける何かも現れていない。だけど、僕はラジオと歯医者の2つをやり続けている。

いつか、あの写真の意味が分かるときがやってくるのだろうか?
いつか、僕を揺り動かす何かが現れるのだろうか?
あなたにとって、そんな“何か”はもう現れていますか?

で、この写真は…
『女性が男性に鼻ピースを“これからする”のか“終わって抜いている”のか、判断出来ない』微妙な写真(笑)。
あ~、こんなことばかりやっているから、大事で必要なことはいつまでたっても分からないのかな~。


コメント機能を使って占ってしんぜよう

(問)上の写真を見て、まずあなたはどこに目がいきましたか?

☆下のほうにある“コメント”より、お答えください。
回答方法は右記の順で(1、見たところ 2、年齢・性別 3、相談ごと)。
僕があなたの悩みなどにずばり答えます。なお、回答は以下を参考にお願いします。待ってるぜぃ!

(例)1、首すじ
   2、25・女
   3、彼氏の……


秘打『白鳥の湖

ドカベンを知ってますか?
殿間を知ってますか?
秘打『白鳥の湖』を知ってますか?
これって、野球少年だった僕らは必ず真似したんだよな。
というわけで、30年ぶりくらいに友人と挑戦してみることにした。
それも三萩野球場を借りきって。
はっきり言ってアホだけど…そこがなんとなく誇らしい(苦笑)。


JHO8

“ドン”が帰って行った後が大変だったらしい。
 人がいるとしゃべくり散らすタイプなので、校長をはじめ教頭、教務主任等々の先生たちに、イタリア行きの詳細がバレてしまった。どんな処分が下されるんだろうと戦々恐々としていた叔母たち…。結果はおとがめなし。校長がシャレの分かる人だったこともあるけど、結局はイタリアに旅行に行ったみたいなものだしね。ただし、一つだけ条件をつけられた。
『1年以内にクラブを全国レベルのものにすること』
 実は小学校同士といっても微妙なライバル関係があるらしく、全国大会レベルのものを持っていると、出世に関してそれなりに優遇されるらしい。叔母たちは出世欲を持てるようなポジションではまだなかったのでピンとこなかったけど、いくらか年かさのいった先生たちはそうでもなかったんだろうね。そして、叔母たちはやってのけた。全国で3位入賞。それ以来、その小学校はいまだに『音楽が盛んな学校』として有名らしいから、物事のきっかけというのはおもしろいよね。
 そして今日の写真だけど、この女性はそのクラブの出身で来月にデビューするらしい。もちろん、イタリアではなく日本でね。叔母たちは、その小学校を離れた今も時々クラブに顔を出してお菓子の差し入れなんかをしているらしいけど、彼女はクラブでは抜群に目立っていた存在とのこと。あらゆる楽器をマスターして、小学2年生の時にはオリジナル曲を作ったというんだから。病人のような(失礼)メイクをしているけど、小学生の時はいつも三つ編みをしていてほっぺた真っ赤っかの女の子だったとも言っていたな。デビュー曲を聴かせてもらったけど、とても不思議な曲だった。落ち葉かカサカサ鳴っているような…そんな曲。さらに、もう一つだけ秘密の話を…。叔母たち3人は彼女のレコーディングに参加しているんだよ。『鉄琴』でね(笑)。彼女からオファーを受けた時は驚いたらしいけど、二つ返事でOKしたとのこと。もちろん、学校には内緒で参加したみたい。結成20年を過ぎてのデビューなのかな、一応。
 彼女のデビューCDの片隅に小さく記される予定の言葉も教えてもらった。



JHO7

「見たよ。見た見た、ニュースペーパーを!お前たち頑張っとるな。俺の勘違いで俺もお前たちも散々だったな。がははは。俺なんて、また資金集めからスタートだ。じゃあなっ!。」
それだけ言うと、ドスドス帰って行った。
残された3人は、またまた“キョトン”のまま苦笑いするしかなかった。


JHO6

日本に帰ってきてからは何事もなかったように学校の先生をやっていた3人。学校側の依頼もあって、叔母たちは『音楽クラブ』なるものを創設し、放課後の時間を使って児童たちに音楽を教えるようにもなっていた。このクラブは結構な人気で、楽器の数が足りなくなって奪い合いが起こるほどだったらしい。地区のお祭りや老人ホームの慰問などもこなすようになり、評判が評判をよんで新聞にもその活動ぶりが取り上げられたこともあった。叔母たちはあくまで顧問なので、相変わらずライブを経験することもなく余った時間を使って、YMOのコピーに励んでいた。
 いつもどおりに授業を終わらせ、職員室でテストの採点などをしていたら、教頭先生が叔母たちを呼びに来た。
「お客さんですよ。」
誰だろうと考えながら、応接室の役割をしていた部屋に行ってみると…。
 “ボス”がいた。


JHO5

ピザをくわえたまま“ドン”は天井を見上げたまま微動だにしなかった。そして、そのまま大泣きしはじめたらしい。熊が遠吠えするように。叔母たちも困ってしまって、うつむいたままかなりの時間が過ぎた。すると、“ドン”はぴたりと泣きやんでこう言った。
「まあ、そう落ち込むな。」
 まったくもっておめでたい人で助かったと叔母は言ってた。なんでも、“ボス”はヨーロッパでもう一花咲かせようと思っていたYMOが自分を頼って来たと思っていたらしい。その大きな勘違いに気付いて大泣きしてしまったけど、“ボス”は叔母たちがもっと落胆しているだろうと勘違いに勘違いを重ねたとのこと。
「まあ、そう落ち込むな。前向きに生きていかなきゃ、この国では取り残されてしまうぜ。お前たちがYMOだろうとJHOだろうとどうでもよくなった。明日からのことは明日考える。楽しくやろうぜぃ。」

 “ボス”の勘違いから来てしまったイタリアで叔母たちがどうやって過ごしたかというと、これまた不思議というか、いい加減で、かなりの数のテレビや雑誌のインタビューを受けたらしい。例の写真は、“ボス”の知り合いのルーマニア人が作ったらしく、“ボス”のデザインイメージ「東洋の神秘」「謎の日本人」というものに沿って、叔母たちが事前に送っていた写真を加工して作られたとのこと。ルーマニア人にとっての日本のイメージがあの3枚だったんだろうね(苦笑)。インタビュー資料としては、“ボス”の作った大げさなプロフィールと例の写真だったらしいけど、そのプルフィールはさながら「日本のトップスターがイタリアを拠点に再出発!」みたいなノリだったらしく、当時のオリエンタルブームにのっかって、叔母たちがイタリアに行く前からかなり盛り上がっていたみたい。“ボス”のマスコミに対する手腕は、かなりドンピシャだった。叔母たちもしぶしぶながらインタビューを受けているうちにもっともらしい受け答えが出来るようになり、いつのまにか『鋭意レコーディング中』ということにまでなった。当然、レコーディングの予定なんてなく“ボス”は
「音のほうはまだだけど、ジャケットは資料に入っている写真を使う。だから、どんどん宣伝してくれ。」
なんてことを本気顔で言っている。
そんなこんなで叔母たちは帰国することになった。それなりに楽しいイタリアを後にして


JHO4


イタリアに着くと、レーベルオーナーの“ドン(ニックネーム)”に会うべく予約していたホテルへ。
「ちょっとしたコネクションがあったんで機内誌に載っけてもらったよ。『アジア特集』をやるっていうからね。持つべきものは友さ!長旅でお疲れかい?今日から毎日エキサイトエキサイト。ん?うれしくないのか?腹減ったのか!よっしゃ、腹一杯食べな。でも、ここはちょっとばかり高いから、知り合いのピザ屋に行こう。うん、そうしよう!」
 会うなりまくしたてるようにしゃべり続ける“ドン”の車で向かった先は、海沿いにある漁師小屋にただペンキを塗っただけのピザ屋。“ドン”は、3人の好みを尋ねることもなく次々と注文し、ピザを待つ間もずっとしゃべり続ける。
「ここのピザは最高だよ。楽しみにしときな。ここのピザを食っただけでもイタリアに来た甲斐があるってなもんさ。おっと、いけねぇ。ちょっと喋りすぎかな。いかんいかん。じゃあ、ビジネスの話を始めよう。」
 “ドン”はゆうに100キロを超えているだろう巨漢、おまけに髭に顔のほとんどが覆われており、来ている洋服ははちきれそうなオーバーオール。叔母曰く
「落ちこぼれのマフィアみたいな人。圧倒されっぱなしよ。」
 “ドン”は、顔の汗を首に巻いたタオルでぬぐい、瓶ビールを一気に飲んで話し始めた。
「俺は本気だよ。あまえたちの音楽はエキサイティングだ。東洋の神秘だぜ、まったく。俺も昔はバンドやってたんだ。ヨーロッパ中をサーキットするようなね。でも、息詰まっちまったんだ。こう…うまく言えないけど、パッションがなくなった。そう、パッション。レコード会社は売れる曲ばかり作らせようとするしね。売れる曲つくるだけなら簡単さ。ヒットチャートの上位30曲くらいをパラパラ聴いて、自分たちにあてはまるエッセンスを見つけて、ちゃちゃっとくっつけて曲書いて、大げさに演奏すればそれなりに売れるもんさ。信じてないだろう?これが証拠さ。」
 “ドン”は、ポケットの中からくしゃくしゃの雑誌の切り抜きを叔母たちの前に差し出した。そこには、“ドン”の顔が大きくデザインされているレコードのレビューらしきものが掲載されていて、その大きさは他のどのレコードよりも大きく目立つように配置されていた。
「これは、船に乗る直前にリリースしたやつだ。完全に病んでいる顔だよな。『イタリーのジム・モリスン』なんてふざけた宣伝文句も頭に来たもんさ。ま、もうどうでもいい話。俺は、お前たちYMOにかけるんだから。」
 YMO?YMO?YMO?
「それにしても、信じられないよな~。YMOっつうには、こっちでも結構話題になってたんだぜ。アジアにすごい3人組がいるって。ロンドンでライターをやってる友人からは、シンセでパンクやってるみたいな風に聞いていたんだけど、テープに入っている音は、まるっきりシンセ使ってないよな。飽きたんだろ?飽きるよ、シンセなんて。お前たちの正しい進化は、俺みたいな音楽やっている人間が一番分かるんだよ。なあ、兄弟たちよ。お前たちは、今のお前たちのままでいい。もう一花さかせようぜ。ぱぁ~~~~~っとな!!!」
 この頃には、どうやら勘違いされていることに叔母たちは気づいた。何度も送ったエアメールには、『JHO』というバンド名を書いていたし、勘違いされるはずないんだけど、どう考えても勘違いされている。
「すみません。私たちはYMOではありません。」
「分かってる、分かってる。JHOだよな。音楽性の変化とともにバンド名を変えるなんてよくある話さ。俺はそれについては何も口出ししない。なんつっても、お前たちの一番の理解者であり、最良のパートナーだからな。気にすんな、そんなこと。それよりもピザを食え、どんどん食え。」
「そうじゃなくて、私たちはJHOであって、YMOじゃないんです。」
「だから分かってるって。気にすんな。JHOで売り出すよう手配してるよ、ちゃんと。生真面目なところが日本人の良いところであり、悪いところである。こっちではお前たちは音楽に専念しな。他のことは俺にまかせとけよ。それで万事問題なしっつううもんだ。ほれほれ、ピザ食いな。熱いうちがうまいぜ。」
「う~ん…そうね、じゃあ食べるわ。」
 お腹すいていたこともあるし、“ボス”に疲れたこともあってとりあえず3人はピザを手にとって食べ始めた。うまい、うまい。たしかにうまい。4人は無我夢中で食べた。
「ちょっと待てよ…。お前たちは、YMOなのか?」
叔母たちは、持っていたピザを皿に戻し口をそろえてこう言った。
「NO.」


JHO3

イタリアまで海流に乗って届いたデモテープ…なわけもなく、事実はこうだった。
特殊な金属の材料を運ぶ大型の貿易船が北九州市若松区の洞海湾というところに停泊していて
暇な時間を使って甲板から釣りをしていた船員の釣り針にひっかかったというのが真相(笑)。
 長い船旅を退屈しているイタリアーノたちには格好の暇つぶしになったようで、本国に着くまで船内放送でガンガン流されたみたい。その船の中に、叔母たちへ連絡をくれた新興レーベルのオーナーとなる人がいて(レーベルを立ち上げるための資金稼ぎに船に乗っていたとのこと)、イタリアに着いてから叔母たちにアクセスしたらしい。叔母曰く
「何百回も聴かされると、つまんない音楽のそれなりに聴こえてくるものなの。」
つまり、叔母たちが放ったデモテープは、数百メートル流されただけでイタリアに渡ったんだ。計画通りにはいかなかったけど、目的は果たしたということかな。
 当時は、メールもなかったため、もっぱらエアーメール(手紙)で連絡をとっていたらしい。だから、話も遅々として進まない。そこで、夏休みを使って3人はイタリアに行くことにした。もちろん、学校には内緒だ。
「聞き分けのない生徒たちを相手にしてもニコニコ笑いながら諭せるくらいに心に余裕が出来たわ。それくらいイタリア行きを楽しみにしていたわ。」
叔母は当時のことを振り返っていつも言う。
 そして、待ちに待った夏休み到来。
 1週間の予定でイタリアへ…半分以上、いやほとんどが旅行気分だったので和気藹々と機内でトランプなんかを楽しんでいた。すると、同じ飛行機に乗っていた外国人が雑誌のようなものを差し出してきてサインしてくれと言う。その雑誌を見た3人は気絶しそうになった。雑誌の表紙は、彼ら3人だったのだ。
 雑誌と思った本は機内誌で、各座席に設置していた。そこに撮影の覚えがないカット…それも、笑わせるためのコスプレのような3枚がデカデカと表紙を飾っていたのだ。
「フライトの間に、50人くらいにサインしたわよ。サインなんかしたこともない3人でね。おもしろかった。でたらめにクネクネ書き殴るだけのサイン会。それより、問題は、何故デビューもしていない私たちの写真が機内誌に載っているか。悪夢なら早く目が覚めてと思ったわよ。目覚めることもなくイタリアに着いたけどね。」
イタリアでは、それ以上のことが待っていたらしいけど。


JHO2

ごめん、ごめん、ちょっと返事が遅くなってしまった。
車の調子が悪くて、色々と手を加えてた。
旧車に乗ってるもんだから、時々すねるんだよね。
では続きを。

海に放たれたテープに対して、なんの反応もないまま2ヶ月が過ぎた。
そりゃそうだよね。
海流に乗って知らない土地の知らない誰かに…なんて、まるで夢物語。
3人はデモテープのことを口にすることもなく、
相変わらず音楽室に集まっては
来る日も来る日もレパートリーを増やすべく練習に励んでいたんだ。
ところが、ある日奇跡が起きた。
イタリアの新興レーベルから、連絡があったんだ。
「あなたたちの音楽を聴いた。エキセントリックだ。連絡とりたし。」
みたいな内容。
そりゃ沸き上がるよね。
叔母たちが放った瓶は、プカプカと海を渡って“デビューの入り口”に
到着してしまったらしい。
そして、メンバーはそこに書かれていた連絡先にエアーメイルを送りかえした。
新しいレパートリーを録音したテープを添えて。


JHO

この写真は、結局デビューすることのなかったテクノトリオを
売り出すために20年前以上前に撮影されたもの。
何故、僕が持っているかというと真ん中に写っているのが叔母だから。
このテクノトリオにまつまる話が傑作で、
3人は小学校の先生で忘年会の余興用にバンドを結成した。
音楽は好きだったらしいけど、毎週木曜日にオンエアされてた
『ザ・ベストテン』を欠かさず見ていたような
聴くのは歌謡曲専門というタイプ。
その番組で見たYMOの印象があまりに強烈で
‘のぼせあがっていた’叔母たちはYMOのコピーをやろう
ということになったらしい。
だけど、誰もシンセなんて持ってないし、
当時はとても高価なものだったから
機材は小学校の音楽室にあるものを使うことにした。
鉄琴、木琴、大太鼓、小太鼓、シンバル、ピアニカ、マラカスなどなど。
もちろん練習は音楽室で放課後に行い
楽譜は音大を出ていた叔母が試行錯誤しながら作ったみたい。
“音楽”なのか“YMO”なのか
夢中になった原因が何だったのか分からないけど
3人は魔法にかかったように練習に明け暮れ
それは大絶賛を浴びた忘年会が終わっても続いた。
もちろん、音楽室でね。
いつからか誰からともなく、デビューしたいなと思い始めたみたい。
だけど、公務員なわけだし、そこには“ルール”という壁が
あることを承知していたので、ライブハウスはもちろん
コンテストに出ることすらためらっていた。
「YMOは、ヨーロッパから火がついて日本には逆輸入される形で売れた」
という話を練習後の音楽室で聞いた叔母は、ピンときたらしいんだよね。
「密閉した瓶にカセットテープを入れて、海に流そうよ!」
3人はそれがどこか知らない土地に流れ着くなんて信じなかった。
だけど、なんとなくモヤモヤした気分が晴れるかなと思って
早速、デモテープ作りを始めた。
マイクもオープンリールも全て放送室に行けば揃っているからね。
校長先生をはじめ、他の先生たちには
「音楽授業の教材作り」ということにして
休みの日もレコーディングさせてもらったというから、
ある意味おおらかな時代だったんだろうね。
そうやって作られた100本の瓶詰めデモテープは
連絡先が書かれたメモと一緒に
近くの海から、知らない土地に向けて放たれたんだ。

なんか、長くなったから続きは明日書くね。


3人で1人