スウィート・ストーム
海暮れて鴨の声ほのかに白し
(うみくれて かものこえ ほのかにしろし)
松尾芭蕉
久々の連休だ。それも3連休。このぽかりと空いた3日間を何をして過ごそう。
まずは、恋人のサコに連絡してみた。「急なんだけど、仕事を休めたりしない?」「え?どういうこと?」「実は明日から3日間の休暇をもらったんだ。」「へぇ珍しいこと。ちょっと待って。スケジュールを確認してみる。」彼女は受話器を置く。受話器から遠ざかり、ドアを開け、そして小走りで近づいてくる彼女の足音が聴こえてくる。多分、素足だ。僕は、缶ビールのプルタブを開けた。僕らは、出会いってから5年になる。僕はイベントのプランナー兼ディレクターを、彼女はMC業を生業としている。お互い、フリーランスなので土日に休めることは少ない。そのかわり平日に休んでいるかというとそうでもない。1ヶ月間無休のこともあれば、1週間仕事をせずに過ごすこともある。そして、二人の仕事が同時に休みになることは滅多にない。5年間で16回だ。彼女のスケジュール帳にグリーンで記された回数。
「ごめん。仕事はなんとかなるんだけど、ちょっと無理そう。」
「そうか。急だもんね。」
「明後日、釜入れなの。2日間眠らずに火の番よ。」
「そうなんだ。1年に2回だけのイベントだったね。」
「そう。今回は、はじめて花器に挑戦したのよ。それも巨大なやつ。あなたでも持ち上げられないと思うわ。」
「花を活けるのか。」
「うまく焼けたらね。実家にある桃の木と山々の木々を組みあわせてみたいの。」
「うん、それはいい。」
「そのときは手伝ってね。大きなリュックサックを二人で背負って山に入り、探検よ。」
「了解。」
「ところで、わたしが休みだったら何をする予定だったの?」
「大阪に行ってみようと思ってた。」
「どうして?」
「出会って間もない頃に二人で行った店で明石焼きを食べようかなと。」
「また三日三晩?」
「そう三日三晩。」
「裸電球ひとつの屋台。」
「そう、あの屋台で。あの明石焼きはあそこでしか食べられない。」
「寒さに耐えながら。」
「そう、5年前と同じように寒い寒いと言いながら。つゆを飲み干したら、おかわりしてね。」
「いいわね。心が揺れている。行きたい。」
「だめだよ。サコは窯に行きなさい。」
「ひどい。」
「ひどくない。サコには窯がある。今の僕には何もない。」
「一人で行く?」
「うーん。どうしようか迷っている。」
「じゃあ、わたしから素敵な提案。」
「ん?」
「フェリーで行くといいわよ。」
「フェリー。」
「そうフェリーで行くの。わたしは、高校を卒業するまで大阪に住んでいたでしょ。父親の実家がある小倉に来るときは、いつもフェリーだったわ。」
「ふむふむ。」
「運がよければ、不思議な音を聴くことができるのよ。」
「どんな?」
「うまく説明できないけど、細く透きとおった音。真っ暗闇の海のどこからか聴こえてくるの。かなり集中して聞かないと聞こえないくらい小さな音。振動と言ったほうがいいかも。」
「振動か。それは、おもしろそうだね。」
「おもしろいかどうかは微妙だけど、あなたはきっとおもしろいと思ってくれると思う。ただ、いつも聴こえるわけではないから、聴けなかったからといって恨みっこなしにしてね。」
「もちろん、恨んだりしないよ。それで、聴ける確立はどれくらいなのか。」
「そうね。わたしの場合で30パーセントくらいかな。それ以下かも。」
「この寒い時期、フェリーの甲板で夜中の間じゅう一人で耳をすませて待つ...聴こえないかもしれない不思議な音のために。なんだか、過酷だね。」
「そう過酷よ。でも、それだけの価値があるのよ。少なくともわたしにとってはそういう音。」
「音そのものが好きな僕にとって、魅惑的な話だな。行ってみようかな、フェリーで。だけど、その細く透きとおった音の正体は何なんだろう?」
「それが正体不明なの。家族と一緒に聞こうとしたことがあるんだけど、わたしに聴こえても他の誰も聴こえないって言うし。だから、フェリーの船長さんのような人に聞いたことあるの。」
「ほうほう。」
「船長さんが言うには、そのことを尋ねてきたのは私で4人目らしいの。フェリーの仕事に就いて25年と言ってたから、膨大な乗客の中での4人ということはかなりの貴重な体験よ。そういう風に言ってもらった時は、なんだか誇らしい気分になったわね。そして、その船長さんもその音を聴いたことがないんですって。でも、その音は、その近辺を運行する船乗りの間では有名だとも言ってたわ。滅多に聴けることのない音なんだけど、船乗りさんたちの中にも聴いたことがある人がいるんだって。」
「じゃあ、確実に存在する音なんだね。」
「多分ね。それで、船乗りさんたちの間では、“スウィート・ストーム”って呼ばれているらしいの。」
「“スウィート・ストーム”…なんだか、かっこいい呼び名だね。」
「そうね。スウィート・ストーム…直訳すると“甘美な嵐”。船乗りさんたちとしては、船の航行中に起きるイレギュラーの出来事は、なるべく避けたいと思うらしいの。当然よね、海の怖さを一番知っている人たちだから。“スウィート・ストーム”のようななくても全然困らない正体不明の音なんて気味が悪いだけだもの。だけど、不思議なその音は、一度聴くと何度も聴きたくなる。心地よいイレギュラーなの。それで“スウィート・ストーム(甘美な嵐)”と呼ばれるようになったらしいのよ。」
「ふむふむ。なんかワクワクしてくる話だね。決めた。行ってくる。」
「いってらっしゃい。“スウィート・ストーム”に出会えるといいわね。正体が分かったら教えてね。」
僕らは、それからとりとめのない話を5分くらいしてからお互いの時間に戻った。
“スウィート・ストーム”を聴くことができるだろうか。聴いてみたい。
インターネットを使って調べてみると、フェリーは今晩出発の便があった。あと、2時間だ。まずはシャワーにかかろう。バスタブに腰を下ろし、シャワーの温度を調節してから頭を垂れた自分の後頭部に向かってお湯が当たるように固定した。そして、そのまま12月の洋上、息を殺してじっと待つ自分を想像してみた。
シャワーから出るお湯は、僕の頬を伝い排水溝に吸い込まれていく。その行き先は、もしかすると僕と同じかもしれない。
- 投稿者:airsilky
- 日時:16:30
comments
どれくらい会ってないんだろう。
でもここで久しぶりにあなたの文章に触れられて嬉しかった。
やっぱり私の大好きな兄貴、「本木さん」がそこにあったから。。。
また会いに行くね!うふふっ