2007年03月 バックナンバー

203号室のインコース

僕はひとつのことを思い出そうとここに入所して1週間が過ぎた。

インコース低めの打ち方だ。

『禅ビル』…僕らはそう呼んでいる。
街の中心からやや外れた5階建ての古いビルで、一部のプロ・アスリートたちが利用する。
僕は、あるプロ野球球団の3番バッターだ。昨シーズンの終了間際、極度の不振に陥りそのままシーズンを終えた。原因は、分かっている。
インコース低めの球をすくい上げて打ち返すフォームを忘れたのだ。

もっとも得意なコースだったはずのものが狂うと、すべてがバラバラになる。

そして、すべてがバラバラなままオフシーズンに入った。
それを思い出すために、ここにいる。

『禅ビル』の外見はいたって平凡だ。しかし、その中に入るといささか様相は変わる。徹底的に無音状態に近づけているのだ。防音はもちろん、特殊な吸音材が壁一面に吹き付けられていて、あらゆる音が瞬時に吸い込まれる。足音ひとつとっても、ここで聴くそれは異質なものだ。音の芯の部分だけが聴こえ、それを取り巻く反響音がないからだとのこと。そんな空間で、僕らは忘れたフォームなどをひとつひとつ組みなおしていく。
今朝、退所したボクサーは、左ジャブから右フックのコンビネーションで使う、背筋にかかる緊張状態が左から右へ流れ移るポイントのようなものを思い出すためにここにやってきた。そして、すっきりした表情で1ヵ月後に控えたタイトル戦へ向かった。

ここはそんな場所だ。

さて、僕のインコース低めを打ち返すイメージを書き抜いてみる。

ピッチャーの指先からボールが離れるほんの少し前に、バットを持った左手のグリップを内側に軽くしぼる。
ボールの軌道を腰の左前方から巻き込むイメージで眼で追う。
左足をいつもどおりのオープンスタンス気味にステップを踏みだす。ただし、つま先の方向だけは開かず、膝から上の筋肉と腰の筋肉を結ぶラインに緊張を持たせる。その際、まだ腰の回転を始めてはいけない。つまり、上半身は残したまま、下半身だけを巻き上げるのだ。
ここまでの動作を終えた時点で、ボールは約3分の2進んでいるはずだ。
手首を固定したまま、バットの移動を始める。
左腕を前方に少しだけ移動させた後、肘を支点に最短距離でボールに到達するようにバットを回転していく。
この動きはごくわずかであるべきだ。本格的なバットの軌道は、上半身の回転がスタートした後に描かれることになる。
つまり、あくまで回転させるのであって、振ってはいけない。
回転を始めてすぐ、ねじった状態にある下半身に上半身が追いつくように委ねていくわけだが、その際、腹部を意識するとほんの少し前のめりになることがあるので、背中に集中して脊柱と左足の大腿骨が真っ直ぐ結ばれるように上半身を回転させる。
上半身の回転が、5分の2程度終えたら、本格的にバットをボールに向かって振り始める。
インコース低めの球は、身体を開いた状態でややおっつけ気味にバットを持っていくのがポイントだ。
振り始めてしばらくは手首から先だけ残す。そして、上半身の運動が半分を超えたあたりから、遅れた手首を上腕部の動きに追いつかせる。
そうすると硬いバットがしなるような感覚を覚える。
そして、手首、腕、腰がかっちりはまるべきポイントにはまったら、その3点を結んだラインにエネルギーを流し込む。
打ち返すボールの軌道が高い放物線を描きたい場合は、バットにボールを乗せ、バットのしなりを利用して前方に運び出すイメージ。
ゴロやライナー性の当たりを狙う場合は、ボールを日本刀で真っ二つに斬るイメージ。
大きく分けると、このふたつを使いわけるのだが、どちらもボールがバットに当たるインパクトの瞬間、ほんのごくわずかだけ肘から先を前方に移動させる。
そうすることにより、もともとイメージしていたインパクトのタイミングよりも、2センチ程度前でボールを捉えることが出来る。
このようにする理由もちゃんとある。
ボールがバットに当たり、バットがその力を吸収し、蓄えたエネルギーをボールに与えて、そのボールが打ち返されるまでの時間は、瞬時でなく意外と長い。
ボールがバットに当たる瞬間に向けてバットを振りはじめたはずだ。つまり、そのまま動作を続けると、バットにボールが当たった瞬間に最大のエネルギーをバットの芯に伝えることになる。
当たった瞬間が最大のエネルギー供与ポイントだとすると、、その後バットからボールが離れるときにはそのエネルギーはかなり減っているはずだ。
バットにボールが当たる瞬間に大切なのは、そのエネルギーの大きさではなく、ボールの芯とバットの芯の位置関係だ。バットの芯をボールの中央から5ミリ程度下に持ってくることが大切なのだ。
エネルギーの大きさが問題になるのは、その後なのだ。
だから、バットがボールを捉えたそのときでなく、ボールのエネルギーを吸収しきった後に最大のエネルギーが供給出来るように、インパクトのポイントを予定していた位置より少し前にずらす。
そうすると、最大のエネルギーをボールに伝えるタイミングは、その分だけ遅れてやってくる。
あとは、バットを背中に巻きつけるように身体全体で振りぬく。
そうすれば、必ずボールは燕のように空間を移動してくれる。

この一連のイメージを音のない203号室で、一日何百、何千と頭の中で繰り返す。
今日で4日目。
全体の60パーセントくらいは、それぞれのイメージがスムーズに繋がってきた。
しかし、「ボールがバットに当たるインパクトの瞬間、ほんのごくわずかだけ肘から先を前方に移動させる。」
ここがどうもうまくいかない。
肘から先だけでなく、上半身全体で動いてしまうのだ、頭の中で。
打つ瞬間に上半身がぶれると、ポップフライに終わってしまう。

窓の向こうは今日も雨。

ゆっくりゆっくりやればいい。

ピッチャーはいつものあいつだ。

ゆっくり振りかぶって、インコース低めをついてくる。

ハイビジョン映像をごくごくゆっくりのスローモーションで回したときのように、ボールが僕に向かってくる。

眼を閉じたままの僕の頭の中では、左手のグリップを握り締めた自分がスタートした。


AIRSILKY @Megahertz

毎月第2火曜は、AIRSILKY@Megahertz!!

2007.3.13 PM9:00~ 

DJ 木本和久 DJ パーマネント

PHOTO 木寺一路

VJ 濁犬

Megahertz 北九州市小倉北区紺屋町7-17 ダイヤ会館2F
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スウィート・ストーム


海暮れて鴨の声ほのかに白し
(うみくれて かものこえ ほのかにしろし)
松尾芭蕉


久々の連休だ。それも3連休。このぽかりと空いた3日間を何をして過ごそう。
まずは、恋人のサコに連絡してみた。「急なんだけど、仕事を休めたりしない?」「え?どういうこと?」「実は明日から3日間の休暇をもらったんだ。」「へぇ珍しいこと。ちょっと待って。スケジュールを確認してみる。」彼女は受話器を置く。受話器から遠ざかり、ドアを開け、そして小走りで近づいてくる彼女の足音が聴こえてくる。多分、素足だ。僕は、缶ビールのプルタブを開けた。僕らは、出会いってから5年になる。僕はイベントのプランナー兼ディレクターを、彼女はMC業を生業としている。お互い、フリーランスなので土日に休めることは少ない。そのかわり平日に休んでいるかというとそうでもない。1ヶ月間無休のこともあれば、1週間仕事をせずに過ごすこともある。そして、二人の仕事が同時に休みになることは滅多にない。5年間で16回だ。彼女のスケジュール帳にグリーンで記された回数。
「ごめん。仕事はなんとかなるんだけど、ちょっと無理そう。」
「そうか。急だもんね。」
「明後日、釜入れなの。2日間眠らずに火の番よ。」
「そうなんだ。1年に2回だけのイベントだったね。」
「そう。今回は、はじめて花器に挑戦したのよ。それも巨大なやつ。あなたでも持ち上げられないと思うわ。」
「花を活けるのか。」
「うまく焼けたらね。実家にある桃の木と山々の木々を組みあわせてみたいの。」
「うん、それはいい。」
「そのときは手伝ってね。大きなリュックサックを二人で背負って山に入り、探検よ。」
「了解。」
「ところで、わたしが休みだったら何をする予定だったの?」
「大阪に行ってみようと思ってた。」
「どうして?」
「出会って間もない頃に二人で行った店で明石焼きを食べようかなと。」
「また三日三晩?」
「そう三日三晩。」
「裸電球ひとつの屋台。」
「そう、あの屋台で。あの明石焼きはあそこでしか食べられない。」
「寒さに耐えながら。」
「そう、5年前と同じように寒い寒いと言いながら。つゆを飲み干したら、おかわりしてね。」
「いいわね。心が揺れている。行きたい。」
「だめだよ。サコは窯に行きなさい。」
「ひどい。」
「ひどくない。サコには窯がある。今の僕には何もない。」
「一人で行く?」
「うーん。どうしようか迷っている。」
「じゃあ、わたしから素敵な提案。」
「ん?」
「フェリーで行くといいわよ。」
「フェリー。」
「そうフェリーで行くの。わたしは、高校を卒業するまで大阪に住んでいたでしょ。父親の実家がある小倉に来るときは、いつもフェリーだったわ。」
「ふむふむ。」
「運がよければ、不思議な音を聴くことができるのよ。」
「どんな?」
「うまく説明できないけど、細く透きとおった音。真っ暗闇の海のどこからか聴こえてくるの。かなり集中して聞かないと聞こえないくらい小さな音。振動と言ったほうがいいかも。」
「振動か。それは、おもしろそうだね。」
「おもしろいかどうかは微妙だけど、あなたはきっとおもしろいと思ってくれると思う。ただ、いつも聴こえるわけではないから、聴けなかったからといって恨みっこなしにしてね。」
「もちろん、恨んだりしないよ。それで、聴ける確立はどれくらいなのか。」
「そうね。わたしの場合で30パーセントくらいかな。それ以下かも。」
「この寒い時期、フェリーの甲板で夜中の間じゅう一人で耳をすませて待つ...聴こえないかもしれない不思議な音のために。なんだか、過酷だね。」
「そう過酷よ。でも、それだけの価値があるのよ。少なくともわたしにとってはそういう音。」
「音そのものが好きな僕にとって、魅惑的な話だな。行ってみようかな、フェリーで。だけど、その細く透きとおった音の正体は何なんだろう?」
「それが正体不明なの。家族と一緒に聞こうとしたことがあるんだけど、わたしに聴こえても他の誰も聴こえないって言うし。だから、フェリーの船長さんのような人に聞いたことあるの。」
「ほうほう。」
「船長さんが言うには、そのことを尋ねてきたのは私で4人目らしいの。フェリーの仕事に就いて25年と言ってたから、膨大な乗客の中での4人ということはかなりの貴重な体験よ。そういう風に言ってもらった時は、なんだか誇らしい気分になったわね。そして、その船長さんもその音を聴いたことがないんですって。でも、その音は、その近辺を運行する船乗りの間では有名だとも言ってたわ。滅多に聴けることのない音なんだけど、船乗りさんたちの中にも聴いたことがある人がいるんだって。」
「じゃあ、確実に存在する音なんだね。」
「多分ね。それで、船乗りさんたちの間では、“スウィート・ストーム”って呼ばれているらしいの。」
「“スウィート・ストーム”…なんだか、かっこいい呼び名だね。」
「そうね。スウィート・ストーム…直訳すると“甘美な嵐”。船乗りさんたちとしては、船の航行中に起きるイレギュラーの出来事は、なるべく避けたいと思うらしいの。当然よね、海の怖さを一番知っている人たちだから。“スウィート・ストーム”のようななくても全然困らない正体不明の音なんて気味が悪いだけだもの。だけど、不思議なその音は、一度聴くと何度も聴きたくなる。心地よいイレギュラーなの。それで“スウィート・ストーム(甘美な嵐)”と呼ばれるようになったらしいのよ。」
「ふむふむ。なんかワクワクしてくる話だね。決めた。行ってくる。」
「いってらっしゃい。“スウィート・ストーム”に出会えるといいわね。正体が分かったら教えてね。」
僕らは、それからとりとめのない話を5分くらいしてからお互いの時間に戻った。
“スウィート・ストーム”を聴くことができるだろうか。聴いてみたい。
インターネットを使って調べてみると、フェリーは今晩出発の便があった。あと、2時間だ。まずはシャワーにかかろう。バスタブに腰を下ろし、シャワーの温度を調節してから頭を垂れた自分の後頭部に向かってお湯が当たるように固定した。そして、そのまま12月の洋上、息を殺してじっと待つ自分を想像してみた。
 シャワーから出るお湯は、僕の頬を伝い排水溝に吸い込まれていく。その行き先は、もしかすると僕と同じかもしれない。


無題



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